- 作者: まはら三桃
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/02/06
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
薬学のハリーポッター
児童文学のジャンルから、なんとなく魅力的なタイトルに惹かれて読んでみました。
主人公の少年「木葉草多」が、高校進学を機に単身東京の学校に通い始めるところから物語が始まります。
続きを読む偽善のすすめ: 10代からの倫理学講座 (14歳の世渡り術)
本の著者の分身とおぼしきパオロさんと、近所の中学生の会話を通して、偽善について、その歴史と定義について知り、考えることができる内容です。
14歳の世渡り術というシリーズの中の一冊で、たしかに10代にも読みやすいないようになっていますが、かなりハッとさせられる箇所もあります。
「ほとんどの日本人は、偽善という言葉の意味を深く考えず、気にくわない相手を批判するための便利な悪口として安易に使っているよう」「だれかの行為を、そんなのは偽善だ!と批判すると、すごく痛烈な批判のように聞こえるんです」(p24より)
冒頭の人物紹介にて。中学の部活で「落語研究会」に所属していた男の子と「弁論部」に所属していた女の子が「顧問の数が足りない」という理由で二つの部活が合併されて「落弁部」が誕生したという設定が斬新すぎて大笑いしました。
偽善という言葉の定義に対して、英語と日本語ではずいぶんと異なることが最初に明らかにされます。
そこから順を追って「偽善」という言葉がいつ生まれたのか、いつ広がっていき、言葉に対する感じ方がどのように変わっていったのかが書かれています。
その歴史の中で「偽善」について、しっかり議論されたり、ちゃんと考えたりした思想家がとても少ないことが明らかにされています。
たとえば「悪」とか「平和」といったテーマなら、しっかり議論されているに違いないと思われますが、それと比べるとその「人気のなさ」はとても意外です。英語と日本語で定義が異なることにも一因があるのでしょう。
しかしながら現代の日本では、歴史的に浅い上に国際的には異なる概念であることが意識されることなくこの言葉が多く使われています。ここにとても危険な感じがします。
「偽善、ヒポクリシーの語源はギリシャ語の"演技"です。」「偽善を否定しているうちに、だんだん"善"や"正義"に対する感覚までマヒしてしまったら、それも大きな問題です。」
この本を読んでいただければ、その危機感がわかっていただけるかと思いますが、でもこの本はもっとライトな感じで書かれていますので、作者の方に敬意を表してライトな感じで読めばいいと思います。
心にもない義務への従順を装うだけの行為(カント)
完璧な正しさなど存在しないのに自分が正しいと確信している何かをする(ヘーゲル)
(主に当時のキリスト教団体を指していると思われる)自分たちが信じる一面的な善や正義を絶対的なものと信じて、他人にまで押しつけてくる連中(ニーチェ)
善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する(浅田彰)
面白いですね。
この講には「自然の活動についての付論 --- 自然の中での霊性の活動 ---」という副題がついています。目次の小見出しをみてみると、窒素、炭素、酸素、水素、イオウ、石灰、ケイ石、粘土など、鉱物の名前が続きます。それらの役割が記されているようです。ノートはこれら鉱物の名前を見出しとしてまとめるべきでしょうか?しかしそのように自然を切り分けてまとめることに対しては、この本の中でもシュタイナーは繰り返し戒めているので、なんとなく抵抗があります。やはり「宇宙の諸力をどのように活かしているか」という点に注目して読むべきでしょうか。
続きを読むサポンテは自宅が騒がしく音に弱いので勉強する場所として普段、図書館と図書館に併設されている地域の学習室を利用しています。
「いいオトナが学生を差し置いて」とか思わないでくださいね。学習室はいつもガランとしているので大丈夫、学生さんの邪魔にはなっていないと思います。
しかし良いことばかりではありません。困ったことのひとつに長期休館があります。
図書資料の維持・メンテナンスの期間や、年末年始、お盆など、長期にわたって休館することは少なくありません。その時期は途方に暮れて、あちこちを彷徨い歩くはめになります。近年、公衆 Wifi が普及してきたこともあって、カフェなどで仕事をする人たちが増えてきたそうです。遊牧民を意味するノマドを冠してノマドワーカーと言われています。サポンテは仕事ではなく勉強なので、ノマドスチューデントとでも言いましょうか。
いろいろ調べてみると同じような悩みを持っている人もいるようです。
続きを読むこちらもシュタイナーの本です。シュタイナーが多いですが仕方ありません。マイブームです。
この本は原題が「Anthroposofhischer Seelenkalender」、直訳すると「人智学の魂のこよみ」でしょうか。
復活祭__4月。つまり春__を第一週として一年間を52に区切り、その時々にふさわしい詩をシュタイナーは書いています。どうしてこのような詩が書かれたのでしょうか。
続きを読む