- 作者: 栗原紀子,長谷川朝美
- 出版社/メーカー: 愛育社
- 発売日: 1998/01
- メディア: 単行本
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前回のつづきです。
プレイン・ピープル --アーミッシュの世界-- ( 栗原 紀子(著), 長谷川 朝美(写真) 愛育社) - サポンテ 勉強ノート
パニック
以前のブログ でアーミッシュの学校が取材禁止になっていることを紹介しました。それは生徒にパニックを引き起こすからだと説明されていました。
サポンテも高校生の時、学校にテレビ局が取材に来ました。そのとき__事前にある程度の打ち合わせがあったにも関わらず__やはり狂躁状態というか、個人としても群衆としても抑制の効かない状態になったことを覚えています。授業中であるのに関わらずカメラマンからは「(テレビ的に絵になるから)このページを開いていて」と指示されました(まあ、まんざらでなかったことは認めますが)。学校の授業と、テレビの話題としてのネタを狩猟採集のように集める取材行為とは相容れるものではありません。
狩猟採集型の取材行為
テレビの話題を取材する際に「狩猟採集」という言葉をつかいましたが、もちろんそれとは反対に、長い時間をかけ対象に寄り添ってていねいに情報を集めていく取材方法もあるでしょう。これを「農耕牧畜」型とは呼びたくありません。なんだか取材した映像なり音声が勝手に育って成長するようなイメージがします。言い得るなら「遺跡発掘」型となるでしょうか?長い時間をかけ、あるかないかもわからないものを壊さないように慎重に掘り起こしていく。そんな取材の方法です。
このような取材があまり主流ではない背景には「効率的ではないから」という理由があるでしょう。
効率
アーミッシュにとって「効率が良いこと」はむしろ悪徳とされることが、この本には書かれていました。これが結構、目からうろこが落ちるようなことでした。
効率が良い。つまり少人数や短時間でものごとを解決する「道具」「手法」「技術」などは、すべてコミュニティを崩壊させるものと考えているようです。これは「古いものはいいものだ」という懐古趣味であるように誤解されたり、「文明の進歩を悪だと決めつける」頑迷で保守的な排他主義のように誤解されたりするでしょう。しかしそうではなく、徹底的に考え抜いて、自分たちの文化への影響を検証して決めているようです。
アーミッシュでは家族あるいはご近所の人たちなど、できるだけ多くの人たちと 長い時間協働すること に何よりも価値を重くおいており、したがって少人数で効率よく仕事を済ませてしまうことができるものを排しているのです。
具体的には「新しい」農業機械。アーミッシュもけっして文明を全否定しているわけではなく、機械を使う場合もあります。しかしそれは概して古いもので、家族が協力し合ってはじめて機能するようなものだとのことです。
また電話は、家族と過ごしている時間に否応なく割り込んでくるものとして。テレビは会話を遮り、家族との時間を奪うものとして。全館暖房は家族をそれぞれ個室に誘うものとして。
いずれも一貫しているのは、ともに過ごしている人との時間に重きをおいているという点です。現代文明が個人的なものを尊んでいるのとは、まるで対照的です。
個人的であること
サポンテは極端な内向型人間であることと他の理由 1 もあって、一人で生きていきたいと考えています。この現代社会で一人で生きていくためにどうすればいいか、日頃から真剣に考えています。
そんなサポンテにとってアーミッシュの考え方は、理解はできても実践したいものではありません。これは変わることはないでしょう。
しかしそれは現代文明の刷り込みが入っているからなのではないかと問われれば、その通りだと思います。
現代文明は個人的なもの、個性的なものをとても大切にします。その方がモノが売れるからです。家族に一台のテレビより、個人に一台。身も蓋もありませんが、そういうことでしょう。全部がそうだと言うつもりはありませんが、産業界の要請には完璧に合致しています。
その反動か昨今はチームワークを軸としたバズワードが世界中で話題にあがります。しかしながらサポンテの目には「チーム一丸でもっと生産を(つまりは消費を)」と言っているように見えてしまうのです。
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極端な内向型人間であることは既に確認しています。「他の理由」としたものは「その疑いが強い」程度でまだそこまではっきり確認できていませんので伏せておきます。↩