サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

プレイン・ピープル --アーミッシュの世界-- ( 栗原 紀子(著), 長谷川 朝美(写真) 愛育社)

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界

はじめに

キリスト教の共同体(恊働体)について興味があったので、図書館の「宗教」の棚から、この本を借りてきました。

半分が写真なので文章はページ数の約半分ほどで、直ぐに読めます。

キリスト教

アーミッシュという言葉を初めて知ったのは多くの人と同じようにハリソンフォード主演の映画からでした。その他にはアーミッシュという言葉がキリスト教のひとつの宗派であることを知っている程度でした。

知らない人のために、この本に紹介されている「アーミッシュとはなにか」をかいつまんで紹介します。マルチン・ルターが「聖書の教える本来のキリスト教に戻るべきだという宗教改革運動」を起こして「聖書の教えに従うならば、洗礼は成人の自由な意志によるものであるべき」と唱えて主流派から離れた。成人後に自由意志で再び洗礼を受けたので「再洗礼派」と呼ばれた。その後、再洗礼派に「メノ・シモンという穏健派の強力なリーダーが現れ、その名をとってメノナイト(メノー派)と呼ばれるようになった」。その後、メノナイトのリーダーの一人ジェイコブ・アマンが「もっと聖書に忠実に、よりキリストに近い生活を実践するべきだ」と唱えて、後にメノナイトを離れた。アマンに従った人たちがアーミッシュ(アマン派)となった。やがて迫害を避けて新大陸に渡り、今日アメリカに存在するアーミッシュになったということです。

アーミッシュの中の子どもたちは成人後に、洗礼を受けて留まるか別の道を行くのかを選択できるのですが、この本によると8割強がアーミッシュを選択するとのことです。

由来はドイツ系移民

アーミッシュはドイツが起源とのことで、コミュニティではドイツ語とドイツ語の方言が使われているとのことです。英語は小学校に入ってから学びます。これは知りませんでした。

アーミッシュの村があるわけではない

特定の自治体の内部だけに固まって閉鎖的な生活を送っているわけではなく、アーミッシュではない他の人たちと同じ場所で生活しているそうです。そうでない人たちと同じ場所で質素で禁欲的な生活を送るというのは、相当な覚悟というか強い信念・信仰心というものが必要でしょう。

勉強することも罪

アーミッシュは『自分の意志を捨てて、神の意志に服従する』ことを進行の基本としている。」「目立とうとすること、人より抜きん出ようとすること、プライドを持つことは、聖書の教えに逆らう罪となる。だから高等教育を受けることは禁じられる。教育、すなわち知識を得ること、勉強することも罪とされる。 『必要以上の学問は、自分を他人より優れたものにする、つまりうぬぼれを育てることだから』

教育関係者が聞いたら理解に苦しむことかもしれませんが、はたして高校生だった頃の自分の胸に聞いてみるとどうでしょうか。

「でも学校を卒業したら、働きたくなるのよ。」

自分もそうでした。

「生徒たちは学校が好きだし、登校を嫌がる子はいない。でも八年生(一四歳)ぐらいになると、学校で机に向かっているより、畑に出たがる生徒もいます。畑仕事も一人前になってくるし、特に農繁期になると忙しいから。アーミッシュの学校は一五歳で終わるからいいけれど、こういう子たちがもし高校に行っていたら、確実に落ちこぼれるんじゃないかしら。外の世界の一般の高校が問題を抱えるのは当然だと思う。あの年頃の子供のなかには、身体を思いきり動かすことが必要な子供もいると思うんです。机に向かっているよりもね」

確かにそういう選択肢もあれば良いと思います。

サポンテはかねてから日本の教育の最大の問題点は「選択肢が少ないこと」にあると思っています。働きたくなった時に働き、学びたくなった時に学ぶということができずに、どうして人を育てることができるでしょう。なぜなら、どちらも人として大切なことだからと思うからです。学んだら、学んだことを労働に適用したいと考えるのは当然です。働いていて自身の能力に行き詰まりを感じたら、何かを学びたいと考えるのも当然です。現代では、それはすべて個人の能力と個人の自助努力__または親の経済的能力__だけに頼っています。それはなにか見落としまうのではないかと思うのです。もっと自由に、もっと気軽にそうした生き方のスイッチができればと思います。

写真の多いこの書籍ですが、アーミッシュの学校の写真はありません。その理由は本文に書かれていますが、取材行為が学校にいる子どもたちにパニックを引き起こすからだとのことです。そういった話は他のオルタナティブスクールでも聞いたことがあり、解るような気がします。

しかし以下の書籍では表紙にその建物の写真が使われているので見ることがます。

アーミッシュの学校

アーミッシュの学校

映画をめぐる騒動

私の見た 映画 は、やはりというか、アーミッシュの中では気に入られていないようです。気に入られていないどころか、そうとうな抗議があった模様です。

アーミッシュには「目立ちたくない」という基本的な信念があります。世界の好奇心は迷惑なものでしかないのでしょう。

しかし行き詰まった世界の側はアーミッシュの哲学を必要としています。

共産主義をひたすら否定していた時代

最近、とても強く感じることがあります。それは自分の世代が「共産主義への敵視を徹底的に植え付けられた世代」であるということです。政策に端を発し、マスメディアを通じてプロパガンダされ、冷戦という絶滅戦争への恐怖によって裏打ちされた敵愾心です。

それは「全体主義よりも競争社会」「家族よりも個人」「協調よりも自由」「恊働よりも競争」そういった言外の価値観が自分の中、自分と同世代の人間の中に強く感じ、自分たちの世代の前後に希薄であると思い知らされることが多いためです。

ビジネス書や先端のネット記事には「チームワーク」「リーダーシップ」「WIN-WIN」「ホラクラシー」などのキーワードが並んでいます。自分の中に「それはそうだ」という明確な思考と同時に、ハッキリこうだとは言えない違和感があったのです。それが何なのか、最近その答えの一つに「共産主義への敵視を持つ世代に属していること」があるのではないかと思い至りました。

恊働が必要な動物

ヒトは一人では生きていけません。サバンナやジャングルや孤島に放り出されて生きていくのは困難な動物です。だから絶対に恊働が必要なのです。しかし共産主義への敵視を経験した国では、その部分が少し損なわれてしまった人が多い。そしてその欠落が何なのか解らないまま、別の何かで埋め合わせようと、各々がバラバラに、半ばやぶれかぶれの手段を用いて生きてきた。その世代が現在、世界の中心となって、そして以来、混乱の余波が続いている。そんな状況になっているように見えます。

見出すべきもの

既に共産主義社会主義を用いることが出来ない現在の世界でも、それでも古い共同体から学ぶ必要があります。それは懐古趣味でも回帰主義でもありません。これら古い共同体は、すでに実績のある「持続可能社会」に他ならないからです。

まとめ

  • この本ではアーミッシュについて簡単に紹介しています。簡単ですが驚きに満ちています。
  • より詳しく知りたい場合はいくつかの 書籍 があります。
広告を非表示にする