サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

肉食という同調圧力。あるいは躍らされる消費意欲について

 ゲイリー・ヨーロフスキーのスピーチを見てから、その後の生活の中で気づかされたのですが、世の中には「肉」についての広告(広義の肉である動物性食材、卵や乳製品、魚介類含む)が多い。一旦気づいてしまうと、非常に気になります。

 バーガー!

 ステーキ!

 焼肉!

 マグロ!

 大トロ!

 ウニ!

 カニ

 チーズ!


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 本来、人間の体は草食動物として設計されていて、歴史的にもいっても肉の消費量は近代になってはじめて増加してきた、いうなれば不自然な食生活です。肉食が不自然なものであるなら、肉の消費とは決して必須のものではなく、単に嗜好的なものに過ぎません。

 肉食の増加にともなう工業畜産は、気候変動の主要因です。肉食を直ちに別にやめるべきとは言いませんが、増やす必要はありません。気候危機を回避するために、減らす努力はしなければならないのです。

 これらの広告は、タバコと同様に規制されて然るべきものなのではないでしょうか。

 広告が多いということは、それがつまり「儲けたい」という動機に裏付けられているということ。経済的利益のために、肉の消費を煽る多くの広告が世の中には溢れています。肉食の嗜好は必然でも何でもなく、メディアを通して垂れ流され煽られた消費意欲に過ぎないものだったのです。

 肉食文化の減衰(気候変動対策としての)には「肉税」というアイディアもありますが、その前にまずは広告を規制する方法もあると思います。広告を規制することで肉食の増加に歯止めがかかるなら(かけなければならない)、そうすべきではないでしょうか。

 「表現の自由」という問題もありますが、広告で煽られた購買欲におどらされる消費者の自由とはいったいなんでしょうか。

 今にはじまったことではないかもしれませんが、菜食中心の生活を頑迷に抵抗する人たちがいます。肉食が不自然なもので、健康を損なうことが明らかになっても頑なに肉食に固執する。それはもう宗教じみています。とはいえ、宗教的ではない食文化などないということも、また事実。ある地域では好んで食べている食材が、山を隔てたすぐとなりの地域では見向きもされない。そういう例は少なくありません。そこに科学性はありません。食文化の違いはすべて単なる宗教です。気候危機は、現実の脅威です。宗教上の理由があろうと、現実に脅威があるなら許されるものではないはずです。