サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

移動の多い仕事は早死にするか

人が作り出す繭のような空間

移動の多い人は早死にするという噂を聞きました。あくまでウワサで、なにも根拠がなく、一笑に付しても構わなかったのですが、なんとなく以下のようなイメージが沸きました。

人は一つところにとどまっていると、身体から「何か」を放出してその人にとって生きるために必要なエネルギーを節約したり、快適さを感じる「繭」のような場所を作り出したりするのではないかと。もちろん悪い場所にとどまっていては論外ですが。

移動が多いということは、その「繭」が作っては捨てられ、作っては捨てられ、身体が渇いたような状態になるのではないでしょうか。その人が長時間とどまるような場所、つまり自宅にいる際、そこはまさに「ホーム」なのに対して移動中はずっと「アウェイ」にいるような感じです。それが疲労に繋がるのではないでしょうか。

最近引っ越しをしたのですが新しい住居の中に居て、移った直後と1〜3週間後ではハッキリ異なる印象を受けています。今までも引っ越しは少なくない方だったので、このような考え方が突飛なものではないと、なんとなく感じることができます。

微生物群

人間の身体から放出されるその「何か」を、オーラと呼ぶのか、気と呼ぶのか、それはその人の哲学次第ではありましょうが、ひょっとしたら「微生物群」と呼んでもいいかもしれません。

この本は「火」「水」「風(空気)」「土」の4元素にまつわる料理を究めようとする著者の試行錯誤の記録です。この「土の料理」の部では「発酵」を取りあげていますが、人間はその「個体」ではなく、共生する微生物群を含めた「生態系」と見なす考え方が紹介されています。

ひょっとしたら、微生物群は人体表面を境にした内側に存在するだけでなく、一定程度「放射」されているのではないでしょうか。

微生物群が人間の住まう住居に自分たちと自分たちの宿主である人間にとって快適な場所を作り出そうとするのは当然かもしれません。逆に人間の方が、なじみ深い微生物群が多く存在する場所を好むという言い方もできます。きっとこれは相互作用なのでしょう。

「あらゆるものは、あらゆる場所に」。微生物たちは何処の場所でも同じ種類のものが存在していることが確認されていると、この本の中にあります。しかし種類が同じだから問題ないかというとそうではないでしょう。人それぞれ特徴があるように、共生する微生物群にも特徴があるはずです(もしかすると単に微生物種の含まれる「割合」かもしれませんが)。人と人に相性があるように、微生物群も、その人が生来持っている__あるいは今までの人生でその身に取り込んだ__ものが構成されるのが理想的であるはずです。

微生物群の好みと人の好み

人が共生する微生物群を引き連れて生活をしていると考える場合、先に「繭」と名付けたものは「コロニー」と呼ぶべきかもしれません。

微生物群がコロニーを作ろうと放射されつつ消費されていくと考えると、やはり移動に伴う疲労がイメージできます。

生まれた場所から遠くは慣れて生活する人が、実家なり郷里に帰ると落ち着いた気分になったりすることがあります。これは土着の微生物群が、生来の微生物群に近く、親しみのあるものだからかもしれません。家庭の味、ふるさとの味が、離れた場所で作ったものよりもとの場所で食べた方が口にあったりするのも、そうした理由なのかもしれません。「十里四方のものを食べる」という古くからの考え方も微生物群にダメージを与えないために納得の知恵です。

引っ越し先

とはいえ、人間の強みはひとえにその「柔軟性の高さ」です。赤道直下から極点の近いところまで人の文化が分布しているのはそれを裏付けます。

引っ越してから3週間ほどで、大分落ち着いた感じになりました。やがて慣れていくでしょう。

祖先が食べていたものと同じものを食べる。

自分又は親の出身地の料理を食べる。

自分の周りを殺菌しすぎない。

自分で発酵食品を作ってみる。

移動の多い生活の中では、自分と共生する微生物群を「意識的に」大切にすることが重要なのではないか。そう感じました。