サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

シュタイナー 農業講座 第一講(1) 社会背景と謝辞

農業講座

農業講座

はじめに

 第一講のノートはまだ作っていないのですが、なんとなく書きたいことが溜まってきたので、ノートより先に書いておきたいと思います。

社会背景

 この農業講座は、コーベルヴィッツにて1924年6月7日から16日にかけて開催されました。この頃、現在のドイツはワイマール共和国でした。前年の1923年にはフランスとベルギーがルール地方を占領して、国内ではハイパーインフレが起き、ヒトラーミュンヘン一揆が起きていました。二つの大戦のあいだの大きな混乱期でした。今から考えると、たいへんな時代ですね。

 農業の分野でいえば化学肥料において1840年と1913年に大きな発見があり、いずれもその後数年以内に普及がはじまっています。こうした肥料について、この農業講座でも「無機化学的」「鉱物性」という表現でたびたび言及があります。

謝辞

 第一講はシュタイナーから主催者への謝辞から始まります。この部分は「農業講座」という主旨から言えば、歴史的な意味を除いて、現代においては特に意味を持たないと思えるかもしれません。しかしいくつかの意味において重要な意味を含んでいるとサポンテは考えます。

 はじめに、歴史というのはどんな時も重要であって、農業も例外ではありません。どのような社会背景や歴史的文脈の中で何が語られ、何が求められ、何が捨てられ、何が選択されたのか。当初の示唆がどのような形で生かされ、あるいは蘇ったのかを理解することから得られるものは少なくないでしょう。この謝辞の中にも、時代背景を伺わせるものや洞察がたくさん含まれています。

 次に注目したいのが、この農業講座が開催されるにあたっての祝祭的な雰囲気です。

人智学の分野で行なわれることは、すべて、いわばそれに必要な情感に包まれた環境の中でこそ、実現するものなのです。そしてそれは農業に関しましても、間違いなくここで実現することになるでしょう。

 第一講でシュタイナーはこう言っていますが、全日程が終わってからの講演ではさらに、この農業講座が開催されたその地、その期間の雰囲気が詳細に語られています。人智学の分野で実施される催しが、こうした雰囲気を大切にしているのは、何よりも人間を大切にしているためです。外から見れば「儀式めいて」いて「秘教的」と映るかもしれないのですが、もしそうでないとすると、つまりこの反対の雰囲気を形容するならば「事務的」「無味乾燥な」「唯物的」となります。そうした雰囲気から生産されたものは、同様の性質を帯びてしまうのではないでしょうか。人間が、その生の多くをよりどころとする農業という領域の行事が無味乾燥なものになってしまったら、失うものはより大きいのではないでしょうか。シュタイナーは第四講の最後に、どんなときも人間が基準であり、人間が根底に置かれていると語っています。人智学の持つこの祝祭的雰囲気は、この『農業講座』の重要性の中に含まれていて、決して小さくないとサポンテは考えます。