- 作者:ルドルフ シュタイナー
- 発売日: 2000/05/25
- メディア: 単行本
- 作者:ルドルフ・シュタイナー
- 発売日: 2019/06/20
- メディア: Kindle版
はじめに
前回に引き続き、第一講についての読書メモです。第一講のノートはまだ作っていないのですが、書きたいことが溜まってきたので、ノートより先にここ書いておきたいと思います。
人智学協会 農業部門
現在の人智学協会には農業の部門があります。ちょっと歴史的な経緯をちゃんと調べていないので、これがシュタイナーの農業講座の前からあったものなのか、後になってからできたものなのか、サポンテはわかっていません。
農業講座の中には「仲間」という名前の農業者の同盟が発足したことが述べられています。これがどのような経緯を辿ったのか、現在の農業部門の前身なのかなど、非常に興味があります。
人智学が農業という分野で目指すべきもの
謝辞に続いてシュタイナーは言います。
人間の生活をめぐるすべての問題は、どの面をとってもまたどの点をとっても、農業と関連づけられます。
それにも拘らず農業はずっと軽んじられてきました。とくに日本では諸外国に比べて歴史的にも農業従事者が不当に軽んじられてきました。実に恥ずべきことです。
じつに農業もまた近代的精神生活のすべてによって害され、まったく憂慮すべき状態に陥っています。
さらに近代になって強くなった唯物的世界観が、農業をよりいっそう深刻に傷つけています。日本では諸外国に比べても、ずっと唯物的世界観が強い。そのために、シュタイナーのいう通り、まったく憂慮すべき状態に陥っています。
唯物的世界観が強くなるとどうなるでしょう。
このビートは生長しつつあるいま、非常に多くの条件に左右されているに違いありませんが、このような諸条件はまったく地球上のものではなく、地球を取りまく宇宙という環境世界から来るものなのですから、このビートを限られた範囲の中だけに限定して理解するということは、考えられないほど無意味なのことなのです。人びとは今日、多くのことをこれと同じやり方で説明し、多くのことを実際の生活の中で、あたかもそれがごく限られた範囲の事物とのみ関係をもち、全宇宙から放射される働きかけとは何の関係ももっていないかのように、取り扱っています。
この農業講座第一講では、植物が宇宙の諸力やリズムに依存していることに触れています。
もし私たちが人間の生を観察し、また動物の生のある部分を観察しますと、人間ないし動物の生が、外界から解放されていることを認めざるをえません。動物的なものから人間的なものに昇ってくればくるほど、この解放の程度が高くなってくることを認めざるをえないのです。私たちは人間や動物の生の中に、地球の外側からの影響や地球を直接とりまいている大気などの影響を、今ではまったく受けていないかのように見える現象を見いだします。
(中略)
このような解放は、人間の生に関してはほとんど完全に調和的に完了してしまっています。動物の場合には人間よりも解放度が低く、植物となりますと、外的地上的という意味をふくめて、広い意味での自然の生の中に生きているのです。ですから「地上に存在するすべては、宇宙に生じていることの照り返しにすぎない」ということを考慮しなかったならば、植物の生を理解することはまったくできません。
唯物的世界観が強くなると、このような広い視野で植物の生長や世界を捉えることができず、次第に微視的に農場を見るようになります。そこで生長する野菜などの植物や家畜などの動物を、生命のない自動機械のようなものと感じるようになります。これには由来があってジョエル・サラティン1は次のように語っています。
人は人類史上初めて、コミュニティに引っ越してきて、外部で調達した資源で家を建て、その家を外部で調達したエネルギーで暖め、見知らぬ水源から水を引き、配管を通じてどこかほかの場所にごみを送り出し、見知らぬ原材料から作る食べ物を口にすることができるようになった。言い換えれば、現代の米国では、私たちを支えてくれる生態系という救命ボートのことなど何らおかまいなしに暮らすことができるのだ。だからこそ、おそらく多くの人が、自然が発する叫びに対して「自分には関係ない」という態度を取るようになっているのである。
そしてやがて、そうしたものの見方を人間自体にも向けるようになってきています。否、人間自身をそのように見ているから、自然をそのように見るようになったのかもしれません。唯物的人間観と唯物的自然観、この二つは共鳴しあい深刻さを増しています。人類は、この錯覚ともいえる唯物的世界観に囚われ、そのせいで人間を含めた全ての生の領域で非常な苦しみを受けています。いちばんの問題は人々がそのことに目覚めておらず、すっかり眠り込んでしまっていることだとシュタイナーは言っています2。人智学が農業に対して貢献できる考え方の一つは、人間自身を含めて、動物も植物も土壌もすべてを生命の領域にとどめ、しっかりと目を覚まして広い視点をもつこと。シュタイナーが、そして人智学が目指すものは、そういうことではないかと思います。
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ジョエル・サラティン(あるいはジョエル サルトン)。アメリカ、バージニア州シェナンドア渓谷の専業農家。代替的農業を実践するポリフェイス農場を営む農家の3代目。その手法は管理集中放牧として知られる。引用は『フード・インク』(武田ランダムハウスジャパン)より。↩
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この『農業講座』ではなく『悪について』(春秋社)より。↩