はじめに
サポンテはビーガンではなく、ベジタリアンでもありません。むしろ積極的に動物を殺す側の人間です。肉食を肯定するなら、自分の手を汚すことを避けてはならないという理由です。
自分の手を汚すことを躊躇するのであれば、ビーガンになれば良いと思います1。したがってサポンテは、ビーガニズムについて妥当であると考えています。
二番目に伝えてほしいこと
前回の記事の続きです。子どもがビーガンになったら「はじめに」「たった1つのこと」を伝えてほしいとしましたが、そこを過ぎたら後日でいいので次に伝えてほしいことがあります。
二番目に伝えてほしいこと、それは「高い理想に押しつぶされる必要はない」ということです。
背景
ビーガンに対する過激な反応として、ビーガンの中に精神的な健康を損なう人が多く見られるというものがあります。
ごく最近でも、以下のような記事がありました。
肉を食べる人の方が菜食主義者より「うつ」や「不安」を訴える人の割合が少ない —— 最新分析 | Business Insider Japan
上記記事の主旨2は「菜食生活が精神的な健康を損ねるという科学的な根拠はないが、統計的には優位な差がある」というものです。
これに対するサポンテの見解は「社会と隔たりの大きい高い理想を持ち続けると、精神的な健康を損ねる」です。
毒になる理想
ビーガニズムは、搾取される動物に寄り添う心が出発点になっています。そしてそれは個人の問題ではありません。そして(社会問題は全部そうですが)なかなか実現が困難な問題であり、焦りの気持ちを生じるでしょう。
また、心ない誹謗中傷にあうこともあるでしょう。その内容は「世界から搾取を無くそうとするのなら、他人が肉食をしているのを見ぬふりをするのは偽善ではないか。なにを食べようが、個人の自由なのだから干渉するな」といった矛盾3したものです。
このようなことが重なって、むしろ精神になにも影響がないという人はまれでしょう。ビーガンに「うつ」や「不安」を訴える人の割合が多いのは、不思議ではありません。
個人にできることには限界があり、そのことから無力感を感じたり、痛めた心を癒すことができなかったりします。理想が、毒のように身体を蝕むのです。これはビーガンだけに限らず、なにかしらの社会問題に少しでも関わったことのある人なら実体験として理解できるでしょう。
上記の記事4に、そうした視点がかけらもないのは、あまりに盲目的でお粗末と言わざるを得ません。食事内容の変化がもたらす影響より、よほど大きいはずなのに。
「完全」菜食という呪い
ビーガンは「完全菜食」と呼ばれますが、前回の記事でも、その訳語の不適切さを指摘しました。今回もまた別の点から、その不適切さを指摘しなければなりません。
完全な人間などいないように、ビーガンにも完全と言える生活があるわけではありません。この訳語は「完全と言えないならビーガンにあらず」と、いささか呪いのように人の心を縛り付けるのではないでしょうか。
ビーガンは道のり
どんなことにも言えると思いますが、ビーガニズムは世界から(あらゆる)搾取をなくしていこうとする「旅路」です。すぐに理想が実現できなかったとしても、絶望する必要はないのです。
「完全」な「菜食」はありえません。何百年も先、いつの日かありえたとしても、それでも世界には別の形の「搾取」が残るでしょう。
高い(高すぎる)理想を持ち続けると、時として心を苛むことに繋がりかねません。自分にできることを少しずつ実行し、できないことに焦ったり、必要以上に心を痛めることはないのだということを、伝えてあげてほしいと思います。