サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

サポンテは死にたがっている

 若い人が、自死に追い詰められたというニュースが世界に広がっています。ニュースになることがなかったとしても、若い人たちの死因は、永らく自殺がトップを占めています。自殺について、サポンテの思うところを書きます。

サポンテは死にたがっている

 サポンテは、うつ病に罹っています。いったい、どのくらい前からなのか、ハッキリと思い出せない。むしろ今となっては、うつ病でない時間があったのだろうかと思うほどずっと以前から患っています。とは言え、元気だった時もたしかにありましたので、生涯を通してというほどではないようです。

 そのためなのか、とくに関係ないのか、サポンテは毎日のように「死にたい」と呟きます。心の底から、そう願って呟きます。

 サポンテは、それでもまだ生きていて、今のところ仕事もなんとかしています。病をちゃんと治すには仕事を休んだ方が良いと分かっているのですが、お金が必要なので辞めることができません。病気は治りませんが、うつ病でもなんとかなる仕事に就けていて、とても幸運だと思っています。

 サポンテは、そんな幸運に恵まれ、なんとか生きています。

危なかった時期

 平時から「死にたい」と思いながら過ごしているサポンテは、生きたいエネルギーの貯金が少ないため、苦難に弱いです。ゲームで言うと HP ギリギリでプレイしている状態です。少しのダメージが致命傷になります。

 そのような状態なので、実際、危機的な状況に陥ったこともあります。もう少しで死ぬところでした。およそ2年前でした。

 思いとどまったのは、気にかけている人がいたからでした。自分が死んだら、多分その人も思いとどまらない。あるいは、自死の道を「選択肢に加えてしまう」だろうと。そういう人が、二人いました。二人とも自分が気にかけている人で、その人たちには自殺なんて考えてほしくないなあ思ったのでした。

 その時は、最悪を回避することだけを考えました。恥を忍んで周りの人や遠方の親にも頼り、助けを乞いました。価値のない自分なのだから、そのプライドにも何の価値もないのだと、自分に言い聞かせて。

 その2年前のさらに2年前は、すでにうつ病だったと思います。当時、チックがかなり酷かった記憶があります。今は抑うつ症状が強いものの、チックについてはほぼ全快しているので、回復傾向にあるか、少なくともその時点よりマシにはなっていると思っています。

サポンテに何か言えることはあるのか

 サポンテはこのような、ある意味かなり「病んでいて」今も「病んでる」人間ですが、このようなブログを通し、はたして世界に対して何か意味のあることを発信することはできるのでしょうか。

 以前、心理学を学ぶ中で「アンデッド=ヒーラー」という概念に出会いました。日本語にすると「傷ついた癒し手」です。人を癒すような人間は、自らが傷ついたり病んでいてはならず、健康でなければならないと考えがちです。しかしアンデッド=ヒーラー「傷を負った癒し手」にも、健康なヒーラーとはまた違った形で人を癒すことができるという考え方です。癒し手の方も傷を負っていると、癒される側の痛みを分けあったり共感したりすることができるため、健康なヒーラーにはない才能を持っているという考え方です。

 サポンテは、このアンデッド=ヒーラーの概念に出会っているので、弱くて不完全でどうしようもない人間でも、それなりに、ユニークな方法で世界に貢献できることはあるのだと思えます。そのような考えもあって、ブログを書いています。

同じように傷ついている人に

 サポンテは自死を何度も考えながら、しかしまだ生きている人間ですので、今まさに死にたいと感じている人の気持ちは、本当には理解できると言えないかもしれません。たぶん、きっと本当には理解できないのでしょう。だから、そのような人に対して「あなたの気持ちがわかる」などと安易に口にすることは決してできません。どのような場合でも口にすることはできません。いま生きていて、そのようなことを口にする人は、安易で軽率であると、思わずにはいられません。

 また「神様は耐えられない試練は与えない」などと言う人もいます。しかしそれは嘘です。もしそれが本当なら、自然死以外で死ぬ人はいません。自殺に限らず、戦争でも、災害でも、疫病でも、飢饉でも、犯罪でも、何が起きても死ぬことなく耐えることができるはずです。しかし人は死にます。現実に、多くの人が寿命をまっとうすることなく死んでいきます。そればかりか毎年、夥しい数の人が自ら命を絶っているこの世界で、いったいどのような根拠で「神様は耐えられない試練は与えない」などという考察が可能になるでしょうか。だからサポンテは、それは嘘だと言うことができます。ただ、ものごとを知らない人間の言葉遊びに過ぎないと言うことができます。

 サポンテに言えるのは、あなたが傷つきやすいのは、それはあなたの一つの優れた才能であるということです。他人にはない、他人が持ちたくても持てない、宝石のような美しい才能であるということです。希死念慮は持てる人と、生涯を通じて持てない人がいます。それに苛まれている時間は苦しいです。それを才能であるとは思えないでしょうね。自分の中に輝いているその宝石の光は見えないと思います。それでも、それはやはり才能なのです。

 アンデッド=ヒーラーの概念を思い出してください。人は深く傷つけば傷つくほど、その経験は、何らかの自分のための才能を開花させると思うのです。主なものは、他人の痛みに共感したり寄り添ったりすることができる才能だと思うのですが、シュタイナーを学んでから、それよりはもっと自分のためになる才能のように思うようになりました。

 サポンテは8年ほど前に、それがわかった瞬間がありました。ああ、自分はこの時、ここに来るために、この才能を授かったのか。そのために、これまで繰り返し傷ついてきたのか。こんなにも大切に思う、このことのために。それがわかった瞬間がありました。だからと言って、その後も生きるのが楽になったりはしませんでしたが。

 生きることが楽になることはありませんでしたが、この才能はある程度、自分を輝かせていると感じるようになりました。これから寿命などで死ぬまで、この苦しみは背負っていくのでしょう。試練だとは思いません。これは乗り越えられるものではありませんから。

 この才能を活かす機会は、この人生の中で二度とないのかもしれませんが、無能な自分の数少ない才能の一つなので、これからも大切にしていこうと思っています。

まとめ

  • 希死念慮を持てることは才能。
  • 自身に価値を見出せないなら、プライドにも価値はないと考え、助けを求めよう。
  • 才能は大切に。なにより自分のために。たとえ苦しくても。