サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

シュタイナー教育とは - サポンテの理解するところの

はじめに

こんにち、シュタイナー教育とはなにであるかをインターネットで調べると、Wikipedia など多くの情報が入手できます。そのため、サポンテが書くような余地はどこにもないような気もします。また、サポンテ自身シュタイナー教育を受けた側でもなければ(いくばくか関わりを持ったことがあるとは言え)教育者でもありません。

日本でシュタイナー教育の取り組みが始まって(それは今も、小規模ではありますが)20年ほど経つので、卒業生含め、シュタイナー教育に関わった人数としては少なからぬものがあるかと思います。そのような事情を鑑みても、サポンテがなにかを書くような余地はどこにもないような気がします。

しかしながらサポンテには、主流の教育を受け、その恩恵とともに看過できない弊害をも体験・体得してきた身の上から、シュタイナー教育に少なからぬ憧憬があります。及ばずながら、このシュタイナー教育なるものの普及にいささかでも力になりたいという切なる衝動から、本記事を書かせていただきたいと思います。

まあ正直、Wikipedia の説明もよくわからないですしね。

成長の要請からの教育

大人は子どもを見て「子どもはこんなふうだから、なにかを学ぶべきだ」と、思います。「どういうふうに授業をすれば、子どもが早く習得するだろうか」と、考えます。1

これが現代において主流な教育原則となっています。言うなれば大人の・社会の要請があり、それを子どもに身につけさせるという感じです。

翻ってシュタイナーの教育原則は、子どもの様子を観察して、その子に必要な教育・技芸を与えるというものです。これをシュタイナーは「心魂のミルク」を与えるものと喩えています。

乳児期の子どもが身体を作るためにはミルクが必要です。そして小学生に上がる年齢になると「心魂のミルク」としての教育が人間として必要になるという考え方です2

これは現代の主流な教育原則とは逆の側に立ち、「子どもの成長の要請があり、大人がそれにふさわしいものを与える」というものです。少なくとも、サポンテはそのように理解しました。

これが、シュタイナー教育と現代の教育とのもっとも特徴的な違いであると、サポンテは考えています。

エポック授業

シュタイナー教育では特徴的な授業内容3がいくつもありますが、サポンテが感銘を受けたのがエポック授業というカリキュラムです。これは、午前中の時間に特定の教科__算数なら算数__だけを毎日連続し数週間かけて行うというものです。

主流の教育では概ね約一時間ごとに学ぶ教科が次々に変わっていくのですが、そうではなく、毎日同じ教科を数週間にわたって連続して受けるという授業方法です。

サポンテはこれを聞いて「とても理にかなっている」と感じました。学ぶ教科がコロコロと変わることが、なんというか、とても気が散るというか、そのように感じたためです。人によっては違う感じ方をするかもしれませんが、サポンテは自身の経験から、シュタイナー教育でとられているこの方法がとても自分に合っていると感じたのです。

8年間、担任がかわらない

シュタイナー教育では基本的に1年生から8年生の8年間、同じ担任が同じクラスの子ども達を教えクラス替えもありません。

これもサポンテには「安定した環境で学ぶことができる」という点で理にかなっていると感じました。

12年一貫教育

シュタイナー教育では基本12年生まで、つまり小学校から高校までの期間を教えます。高校受験はありません。

高校受験は、サポンテ自身の経験と、子育ての経験から、百害あって一利無しと考えています。思春期の一番多感で繊細で苦労の多い時期に、いったい、何が悲しくてこのような高ストレスなハードルが設けられているというのでしょうか。いったい、子どもの成長の要請のどこに高校受験の必要性があるというのでしょうか。

シュタイナー教育のはじまり

オーストリア出身の思想家ルドルフ=シュタイナーは、私企業の社長から「従業員の子ども達のために学校を作ってほしい」と頼まれ、1919年、最初の学校を開校させました。「自由ヴァルドルフ学校」という名前でした。「ヴァルドルフ」というのは、その私企業の名前でもあり、その土地の地名でもあります。

そのため、現在でもシュタイナー教育は「ヴァルドルフ教育」と呼ばれることが多々あります。両者は同じものの違う呼称です。日本では一般的には「シュタイナー教育」の名前が有名ですが、「シュタイナー = 人名」なのでヴァルドルフ教育と呼称する方が都合がいい場面もあるかもしれません。どちらかというと「ヴァルドルフ教育」が使われることが多いと感じますが、この記事では「シュタイナー教育」の方を使用しています。

最初の自由ヴァルドルフ学校はドイツにあり、そのためシュタイナー教育の学校数はドイツが最も多く、教員養成のための学校も手段もドイツが最も多い状況です。

自由への教育

シュタイナー教育は、ひとことでその特徴を表すなら「自由への教育」だと語られることが多くあります。

これは「フリースクール」であるかのような印象を持たれるかもしれませんが、全く異なります。よく強調されるように「自由教育」ではなく「自由への教育」であるのです。

これは、子どもがやがて大人になるに従って環境や自分の欲望から自由になって、自分の人生を生き生きと歩んでいく力を育むためのものという意味で、そのように言われています。この自由を得るためには先ず権威に依存し、それを乗り越えるという順序を踏むという考え方があるため、授業風景は(内容はずいぶん違いますが)主流な学校と同じように、子ども達は教師の話に耳を傾けています。

思春期に人は皆、権威を乗り越えるという経験が必要であるため、その前には乗り越えるべき権威が必要なのです。

その教育哲学としての独特の人間認識

こうした教育方針は、よほどの哲学が背景になければやすやすと生まれるものではないことが想像できますが、それはどのようなものなのでしょうか。そしてまた、その哲学によって、子どもに特定の思想を持たせることになるのではないかと心配される方もいらっしゃるかもしれません。

しかしシュタイナーはこれを戒めていて、教育の裏にある思想や哲学はできる限り子どもから秘するようにしています。そのため、シュタイナーの思想や哲学を子ども達が身につけることはありません。

その教育哲学は「人智学」と名付けられていて、これもシュタイナーが創始したものです。というとなんだか歴史がとても浅くシュタイナーが自身の哲学を使って独りよがりな教育をしているかのように思えるかもしれませんが、その前身の神智学からは政治的な理由で袂を分かっているだけで同じものであり、歴史は決して浅くありません。

問題はこの人智学(神智学)がとても難解なことで、先ほど「シュタイナーの思想や哲学を子ども達が身につけることは」ないと書きましたが、もし子ども達が大人になって自分の意志でそれを学ぼうとしても、おそらく一筋縄ではいきません。簡単に身につくようなものではないのです。その点をとってもシュタイナーの思想を身につけてしまうなどと心配するのは取り越し苦労というものでしょう。

そのような難解を極める哲学をサポンテがなんとなく分ったようなふうな感じで強引にまとめてみると__やってみようとはしましたが__どうしても陳腐なものになってしまうのでしません。短くまとめることはできないので、いずれまたノートを作りたいと思います。

最後に

サポンテがシュタイナー教育を知ったのは90年代の終わり頃だったと思います。何度か「シュタイナー教育」という単語を耳にした際に、それがどんなものなのか分らず話についていけなかったのが口惜しいと思ったのが動機です。

学ぶと同時に「成長の要請からの教育」という観点や「エポック授業」などの理にかなった授業方法にとても惹かれました。こんな教育を受けてみたかった。いずれ自分が子どもを授かったら、こんな教育を受けさせてあげたい。こころの底からそう思いました。

それができなくても多くの人がこの教育を受けて育っていけるのであれば、社会が抱えるいくつかの問題は、けっこう軽減できたのではないかと思うのです。

シュタイナー教育についての、シュタイナー自身による講演録を最後に紹介しておきますね。この本はまたいずれノートを作ります。

人間理解からの教育 (ちくま学芸文庫)

人間理解からの教育 (ちくま学芸文庫)


  1. 記事の最後にもリンクがある「人間理解からの教育」より。

  2. おなじく「人間理解からの教育」から。思春期以降は「精神のミルク」が必要だとも書かれています。

  3. 他に特徴的で独特なカリキュラムに「言語造形」や「オイリュトミー」「手仕事」などがあります。