サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

ユートピアだより(ウィリアム モリス (著), William Morris (原著), 川端 康雄 (翻訳) 晶文社)

ウィリアム=モリス

この本はウィリアム=モリスが書いた小説です。

ウィリアム=モリスは19世紀に、主にデザイナーとして著名な作品を残した方です。壁紙など一部の作品は現在も生産が続けられるなど、時代を超えた「大定番」のデザインを作った方です。ウィリアム=モリスの名前を知らなくても「あ、このデザイン見たことある」という方も多いのではないでしょうか。

ウィリアム=モリスが活躍した時代は、「大量生産」「大量消費」の現代文明が作られ始めた頃で、デザインも「質より量」の変化にさらされました。モリスはこの風潮を批判し、家内制手工業的な生産活動こそが高品質を維持しうるものであると主張しました。残念ながら世界の趨勢は__皆様のご存知の通り__モリスの危惧し憂いたとおりの方向へ進んでいきました。美術館に残されたものを見れば、この時代を境に確かな変化があったことが痛感できます。現在生産が続けられているモリスの作品は、当時と同じ製造工程を経ていて、当時と同じ品質を維持するなみなみならぬ努力が続けられています。

モリス以降、比肩すべきデザイナーは居ないこともないのですが、モリスの名前が歴史の中でひときわ大きなものとして残っているのは、その活動が多岐にわたったことが大きいためであるように思います。モリスはけっして専業デザイナーではなかったのです。しかも、それぞれの領域で大きな業績を残しています。

モリスの小説の代表作であるこの作品にも、こうしたモリスの多角的な仕事が結実しています。惜しむらくは、同時にその限界を示していると言えなくもありません。描かれている風景や建物、室内の装飾は美しく描かれていますが、音楽に関する描写は多くないという点で 奇跡のエコ集落 ガビオタス と好対照です。

本の内容

日々に疲労した社会運動家が寝苦しい夜を過ごした翌朝、21世紀の同じ場所に目覚める、という内容です。

そこで暮らす人々は「財産」や「政府」という概念を持たず、健康的で若々しく美しい容姿を持っており、風景を美しくすることを尊び、労働を喜びとする。強い連帯感はないけれど、誰でもいつでも助けてくれる絶対的な安心感がある世界(ここは ガビオタスアーミッシュ と同じですね)。

主人公はその世界で二日ほど暮らした後、いつもの(19世紀の)部屋で目を覚ます。それは夢だったけれど、疲れはなくなり、心の中に光りが差し込んでいる。

どこでもない場所

ユートピアを扱った物語をそんなに読んでいるわけではないのですが、この本は「その状態に至るまでの経過」について詳しく書いている点で他との違いがあるとのことです。

最近読んだ別の本で 奇跡のエコ集落 ガビオタス というものがありますが、こちらは経過というか、まさに現在形成中のユートピアです。もっとも代表者は「トピア」と呼んでいるそうですが。

この「ユートピアだより」は、原題では「どこでもない場所からのニュース」みたいな感じです。ユートピアはもともと「どこでもない場所」という意味でした(対して「トピア」は場所)。ですが現代ではほとんど「理想的な場所」という意味になっています。

この本で登場するのは、主人公が眠りに落ちた場所、つまりもともとは特別な場所でもなんでもないご近所でした。

理想郷はどこかにあるのではなく、自分の足下に作っていくものだという社会運動家としてのモリスの心がこもっているように思います。

ユートピアに至る道

それは主人公が21世紀で出会った老人の口から語られます。

けっして生易しい道ではなかったけれど、それを乗り越えて到達したその世界は、やはり美しく描写されていました。

こうした美しい物語を読むのは、自分の心の中にその空気を取り込むような気がして心地よいだけでなく、自分の目指すべきところを確認するためにも必要なことであるように思います。たとえそれがまったく自分の目的地と同一でなくても、そうした道を歩もうとした先人がいたという事実からは勇気をもらうことができますし、自分の理想と比べることで、自分の中に在るイメージがより具体的になってもいきます。

心を惹かれる言葉

しかし金持ちを貧民から、強者を弱者から保護するということ以外のいかなる目的のために、その<政府>は存在したのでしょうか

この言葉は、やはり心えぐられる思いがします。その部分において、100年の間、進歩がないからです。

どう見ても、文明の最後の時代に人は物品の生産という問題で悪循環におちいってしまったようですね。かれらは見事なまでに楽々と生産できるようになりました。その便利さを最大限に生かすために、しだいしだいに、この上なく込み入った売買のシステムをつくりだしました(というか、そうしたものを発達させました)。<世界市場>と呼ばれるものです。その<世界市場>は、いったん動きだすと、物品の必要あるなしにかかわらず、ますます大量に生産しつづけるように強制しました。その結果、ほんとうに必要な品々をつくる苦労から解放されることは(当然ながら)できませんでしたが、にせの必需品、あるいは人為的な必需品を際限なく生み出すことになりました。そうしたものは、いま言った<世界市場>の鉄則のもとで、人々にとっては、生活を支えるほんとうの必需品とおなじくらいに重要なものになってしまったのです。おかげで人々は、ひたすらその悲惨な制度を維持するだけのために、とてつもなく多くの仕事を背負いこむはめになったのです

まだスマホタブレット端末もネット依存もない100年以上もの前からこの「悲惨な制度」が続いていることは驚きでしたが、考えてみれば、たしかにそれは産業革命から始まったのですからあたりまえのことでした。

「この50年で食に起きた変化はその前の1万年より大きい」とは映画 フードインク の中で マイケル=ポーラン が言った言葉です。不必要な食品を「際限なく生み出す」ためのにせの効率化と、そのために引き起こされる貧困、貧困がもたらす過剰カロリーによる肥満と糖尿病の蔓延が、衝撃的に描かれています。

上記の引用部分には「にせの必需品、あるいは人為的な必需品」とありますが、人為という言葉は合体すると偽になると フォーカス・リーディング にありました。人の為すことは、にせものなのでしょうか。

だからこの本の中に登場する21世紀にも残るいくつかの「人為的なもの」は美しくないものの代表のように描かれています。

モリスの遺した様々のものに触れると、とても人の為すことが偽であるとは思えませんが、同時に、ある意味「人の為した部分」はできるだけ目立たない感じに持っていこうとする、強い謙虚さを感じます。自然そのものの美しさや神秘性を大切にしてほしいと切実に訴えているようです。

サポンテはモリスのデザインが大好きなのです。

免責

読書「メモ」とは言え、いつもまとまりなく尻切れとんぼな感じですみません。