サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

海外にはない?「ムダ」という概念

「もったいない」という概念を持たなかった世界

 少し前(結構前)ですが、ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性のワンガリ=マータイさんが来日した際に感銘を受けた「もったいない」という日本語を世界に広めることを提唱したというニュースがありました。

 誰もが知っている当然の概念を世界は知らなかったのだということに、日本人からすればむしろ驚かされるニュースでした。

 これは「言語はそれ自体、文化を持つ」ということをわかりやすく示す事例であったといえます。「もったいない」という言葉が生まれるためには、はじめに「もったいない」という概念が必要であるためです。他の言語圏に、その該当する言葉がないということは、概念自体が存在しない、そして必要とされなかった__歴史的になのか政治的になのかはわかりませんが__ことを意味しています。

「ムダ」という概念はあるのか

 「もったいない」という概念と近いものとして「無駄」という言葉があります。これを他の言葉で説明するとどうなるでしょうか。手元の辞書で調べてみると「しただけの効果や効用のないこと。役に立たないこと。また、そのさま。無益」と書かれています。これだけのことを一言でズバッと表すシンプルな単語「無駄」。

 「もったいない」が世界に知られていないとすれば、それと似た概念であるこの「無駄」という概念も、実は日本以外にはあまり知られておらず、適切な訳語が見出せないのではないか。そう感じさせる出来事がありました。

炎上した日経BPのレビュー記事

 これも結構古い話ですが、Apple がはじめて MacBook Air を発売した時、日経BPが分解レビュー記事を発表しました。その記事のタイトルは「外は無駄なし,中身は無駄だらけ」というものでした。

 MacBook Air は発表当時、多くのノート PC にあったインタフェースを極限まで減らし「これからは複雑なケーブル類から解放し、ワイヤレスでスマートでセクシーに行く」という、それ以降の Apple 道を体現するかのようなシンプルでスッキリした外観が特徴でした。

 それに対して日経BPの記事では、外観に反して内部にはコスト高な部分が多く「無駄が多い」と記事にしたのでした。

 これが主に海外で大きく炎上しました。

 炎上した原因は、英語に「無駄」に該当する適切な訳語がなかったためではないかとサポンテは考えています。

「無駄」の訳語は「Waste」?

 この記事は英語版記事も発表されており、そのタイトルは「No Waste Outside, Nothing but Waste Inside」でした。

 タイトルは日本語記事と英語版記事と確かに対になっているようですが、このタイトルに使われた「無駄」に対する訳語の「Waste」は、はたして英語でも適切でしょうか。

 手元の辞書で確認すると waste の意味は「ぼろ布」とあります。よくわからないので Google 翻訳で確認してみると「廃棄物」と出てきました。英語から日本語に訳したときによく使われるのは「ゴミ」です。

 ほかに「浪費」という意味もあるにはありますが、それにしても日本語の「無駄」という言葉の意味を考えた場合に「当たらずしも遠からず」というより「遠くないけど当たっていない」と言った方がいいでしょう。

 つまり英語版記事のタイトルは「中身はゴミ」と言っているに等しい。日本語記事のタイトルから日本人が受ける印象とは遠く隔たっています。

 そりゃ炎上もするでしょう。

 日経BPでは炎上を受け、約一ヶ月ほど後だったと思いますが「【MacBook Air分解:番外編】我々はなぜ「無駄だらけ」と書いたのか」という、いいわけがましい記事を書いていました。その後日談記事にも最初の記事にも技術者の設計思想の違い云々が書かれていましたが、そんなことよりもこの訳語が火をつけたことは間違いないでしょう。

「無駄」という概念も重要

 「もったいない」という概念は世界にデビューしました。広がりを見せているのかどうかわかりませんが、少なくともデビューしました。それと近いものに分類され、負けず劣らず重要な概念をあらわす「ムダ」という言葉も、ぜひ世界に広がればいいなとサポンテは考えています。世界の人口は、100年前の人々が一笑に付した数字を遥かに上回りながらなお爆発的な増加を続けています。もはやどのような資源もみな貴重品になりつつあります。貴重な資源の必要のない浪費を戒める「ムダ」という概念は、この世界にますます必要になってくるのではないでしょうか。

「もったいない」を失いつつある日本人

 昨今では反対に日本人の方が、西洋文化をありがたがる傾向が強いあまりに「無駄」であり「もったいない」と感じる心を忘れているのではないかと感じることがあります。

 ビュッフェ形式の食事で食べきれないほどの料理を皿に取り、最終的に残して「無駄」になっても払う金額は同じなのだから問題ないと強弁するテレビタレントがいました。その論理は「もったいない」や「無駄」という概念と言葉を持つ日本人の精神性とはやや異なる印象を受けます。この件に限らず、あまりに拝金主義的な考え方が社会を蝕んでいると感じることが多くなりました。

 もし本当に、こうした行為に問題がないのであれば、こうした言葉は日本語には存在しなかったことでしょう。言語は、その言葉を用いる文化圏に属する人々がなにを大切に思ってきたかを明確に表しています。そして自分たちがなぜその言葉を用いているかということを忘れたくないと、サポンテは考えます。