こんにち、「『深く狭く』よりも『広く浅く』さまざまなことを身に付けるべき」ということを口にする人が非常に増えています。この記事では、その傾向に若干の異論をとなえたいと思っています。
広く浅くのイメージ
広く浅くといわれるとき、みなさんはどのようなイメージを持つでしょうか。恐らくは下のようなイメージではないかと思います。
反対に、狭く深くのイメージは以下のような感じでしょうか。
しかし「広く浅く」と口にする人の実際のところを詳しく聞くと、上記のイメージとはたいへん異なる印象を受けるのです。たとえば以下のようなブログです。
今の時代、「深く狭く」より「広く浅く」学ぶべき - 人生逆転のマレーシア留学
このブログを書いた方は
「今の時代は、広く浅く物事を学んだ方がいいんじゃないか?」と思っています。
とブログの冒頭で書きますが、続いて以下のようにも書いています。
個人的に、身につけておきたい3つの知識
①:会計
②:マーケティング
③:IT
この方の10年後のスキルポートフォリオは__現在望んでいるとおりに順調に進んだとすれば__以下のようなイメージになっているはずです。
つまり、けっして浅くない。「『かなり深い』とまでは言えないかもしれないけれど、けっして浅くはない強みをいくつか持っている」と言うことができます。
さらにこの方は、今後の展望について次のように書いています。
アメリカ人の転職回数は約10回前後と言われています。
会社で働く→スキルを身につける→転職
こういった働き方をする事で、"広く浅く"学ぶ事ができるからです。
この方がそうした働き方を実践できたとしたら、20年後のスキルポートフォリオは、たとえば次のようなイメージになります。
すばらしい。
「広く浅く」を言葉どおり受け取ってはいけない
「広く浅く」と言ってる多くの人は、実際には「広く深く」生きています。少なくとも「浅い」のレベルが違うと思った方が良い。
『読書する人だけがたどり着ける場所(齋藤孝)』という本に次のような記述があります。
「広く浅く」という言い方をしますが、一番いいのは「広く深く」です。「広く」と「深く」は両立します。というか、ある程度広さがないと深みに到達するのは難しくなるのです。深さの要素には「つながり」があるからです。
あることについて深く知っているとして、その知識はそれだけでは「点」です。でも、一見関係ないような別の事柄について深く知ったとき、それぞれの点がつながることがあります。点がつながって面ができていきます。
そうなると、まったく新しい事柄についても、簡単に深く知ることができますし、すでに知っていた事柄もさらに深堀りできるようになるのです。
一つのことを深く知ろうとする中でも、興味が自然と枝分かれしていくので、勝手に広くなってしまうという面もあるでしょう。教養のある人は、「広く深く」をやっています。
言葉どおり「広く浅く」を受け取ってしまった人は、ほんとうに広く浅く、最初に挙げた図のようなイメージで、特に強みもなく生きていくことになります。このような人が中高年になって不況によるリストラなどの憂き目に会い、強みのスキルを何も持たず転職も起業もままならずに路頭に迷う。現在、この日本で起きていることは、こういうことではないでしょうか。
「広く浅く」か「狭く深く」かという二元論は構図としてはわかりやすいのですが単純化が極端すぎて、このようなリスクを隠している思うのです。
ようするに、"広く浅く"学ぶ事で、あらゆる角度から物事を見る事ができます。
(前述のブログより)
浅い必要はありません。ここは「広く学ぶこと」だけで良いかと思います。
「狭く深く」生きている人はなにかと肩身の狭い昨今ですが、「広く浅く」もサポンテは危険であると考えます。
「忙しい日常の中、自分のできる範囲で見識を広げる」ということを実践している方は多いでしょうし、反対に「業務範囲外だが類似分野で知識を深める」という人も多いでしょう。「まったくの門外漢だがやたらと詳しい」みたいな人も、ときどきいますね。人の生き方は「広く浅く」「狭く深く」のどちらかではありません。そのバランス型がもっとも必要とされているというのが、ほんとうではないでしょうか。
もちろん人の生き方はそれぞれですから「広く浅く」もけっして否定はしませんが、それにはリスクがあり、広いけれど浅くはない生き方をしている人が「広く浅く」と言うのは実態と離れている分、無責任ではないかと思うのです。