サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

「何がしたいのか分からないまま人生が終わった」という匿名ダイアリーが明らかにした現代の病理3つ

表題の匿名ダイアリーの紹介

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

ブックマーク数が1500を超えるなど、とても話題になった匿名ダイアリー(以下日記)です。ネットニュースに取りあげられていることなどもあり、タイトルで検索していただければその話題性の凄さが解るかと思います。

この日記が多くの反響を呼んだのは、共感する人が多いためではないかと思います。

共感。それは「同情」とは似て非なる感覚で、同じ時代に生きる者がなんとなく共にする感覚。時代の雰囲気。そこに流れている「血」のようなものです。特定の世代に限定されることもありますが、この日記はそうではありません。

また子どものころから本に親しんでいたためなのか文章も非常に巧みで、読んでいて心地よい。ご本人は「何がしたいのか分らない」とおっしゃいますが、読んでいる方にはその才能で続編を望む声すらあるほどです。ご本人に自覚があるかどうか分りませんが、多くの世代に渡って共有される現代という時代に滲む「血と汗」を明確に切り取る才能は、間違いなくかけがえのないものです。

その才能を多くの人のために使っていただくことが投稿者の「やりたいこと」ではないかもしれず、無責任にこちらから求めることはできないのですが、投稿者様が歩んできた人生には、いくばくかの敬意を感じずにはいられません。

この時代の病理

この日記があぶり出した現代の病理は3つあると考えます。「夢や目的を持って前向きに生きなければならないという強迫」「自分は、とるに足らない存在であり、居なくなっても世界はなにも変わらないという思い込み」「人間は他者と関わりを持つことに幸福の源泉があるという思い違い」です。

夢や目的

一つ目の「夢や目的を持って前向きに生きなければならないという強迫」について説明します。

ここで言われている「夢」や「目的」は「現状とはかけ離れたもの」に限られます。しかし考えてみれば解りますが、人は自分とは異なる人間になることはできません。まれに「以前とはかけ離れた華々しい境遇」を掴むことができる人は居ますが、そんな人ばかりでは世の中成り立ちません。カースト制度が根強くのこるインドなど言うに及ばずですが、世界を見渡しても日本だけに限っても、環境の中で限定された進路の中で生きている人がほとんどです。社会は様々な職業の人で成り立っているわけで、それらすべての人が「現状とかけ離れたもの」を追いかけてばかりいては社会が崩壊します。

にもかかわらず「夢を持たなければならない」と多くの人が思い込んでいます。その様相ははっきり言って病的です。この病原体の主たるものはメディアです。メディアはなぜか「頂点を極めたスポーツ選手」「逆境を跳ね返した成功者」といった、特殊な事例を取りあげがちです。そうでないこともありますが、比率としては明らかに大きい。

「夢」を持たないことは珍しいことではありません。むしろ、そのような人の方が多いはず。そうでなければ社会が成り立たないことは説明しました。社会が崩壊していない以上、夢を追いかけている人がごく少数であることは間違いありません。そういう人たちは社会を支えるための、とても尊い存在なのです。

にも関わらず、それを「諦める」とか「心が動かない」などと、どちらかというと蔑む傾向にあるのは理解しがたいどころか憤りを感じます。どうか夢を持たないという人にも感謝と尊敬をもって接していただきたいと思いますし、そうした気持ちを無下にして安易に夢とかあおり立てないでほしいものです。

とるに足らない存在

考えることから生きることへ」という本では人智学のシュタイナーのころから少し進んでいる思想を取りあげています。この中で、人智学がその思想で闘っていかないと考えているものの一つとして「この現代に蔓延る『自分をとるに足らないものだ』と考える風潮」を上げています。

自分のことを「とるに足らない存在」だと考えている人は「誰の役に立っているわけでもないし」などと考えていないでしょうか。では「誰かはあなたの役に十分立っているでしょうか」。

一人一人の存在は結局のところ「持ちつ持たれつ」だと思うのです。

この病理の病原体も、特別な存在ばかりを崇めるメディアによるところが大きいと思いますが、それを無思慮に消費する側にも責任の一端があるのではないかと感じます。

夢をもってももたなくても、叶えてても叶えてなくても、一生懸命でもそうでなくても、人として、それはそれで良いのではないでしょうか。

他者とのかかわり

サポンテは内向型人間です。

内向型人間だと自己意識した時にはっきりと分ったことですが「人間は他者と関わりを持つべきである」という強い圧力が、この社会にはあります(ただ日本はまだマシな方だそうです)。

そして内向型人間にとって「人間は他者と関わりを持つことに幸福の源泉がある」というのはほとんど思い違いです。

こういうと25%くらいの人は誤解するのですが、引きこもりたいなどと思っているわけではありません。「幸福の源泉」の主たるものは別にあるので「他者との関わり」があまり重要ではないというだけのことです。もちろん人間は社会的な生き物ですから、まったく他者と関わらないで生きていくことは物理的に困難です。そういう意味ではないのです。ただ「内的なものに幸福の源泉がある」という人間も少なからずいるということです。

「人間は他者と関わりを持つべき」という考え方は、じつは歴史的な事情から「作られた」ものであって、普遍的なものではありません。しかし今日では何の疑いもなく語られ、内向型人間を非常に苦しめています。内向型人間が理解されにくい状況が永く続いた現代では、内向型人間は「いないもの」と思っている人もいます。他者との関わりが少ないことが欠点であるかのように扱われ、他者との関わりに時間を割かないことを悪し様に叩かれます。「人間として扱わない」か、少なくとも自分の要件が「人間的ではない」との烙印を押されるのです。

まだまだ一般的に広がっているとは言いがたい内向型人間については、また別途詳しく記事にしたいと思っています。

冒頭の日記には(やっと本題?!)「小さい頃から逃げてばかりいた」と書かれています。このことから「投稿者が内向型人間であること」と、それを「かなり気に病んでいること」がわかります。同じ内向型人間として、そしてそのことに悩み苦しんできた身として胸が痛むばかりです。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。

ここで少なくともご両親に理解されていなかったことがわかりますが、内向型人間の存在が明るみに出たのはごく最近であるため、仕方がなかったとも言えます。こうしたことは自分にも身に覚えがあるので、投稿者の気持ちはわかるつもりです。

幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

サポンテは、まあ顔と名前は分っていたので、まだ運は良かったと思います。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。

サポンテは逆に公立しか知らないのですが、目立った不良グループが居て時々警察沙汰になりました。警察沙汰が時々ということは、発覚しない犯罪が日常に流れているということで、まさに荒れに荒れており地獄でした。私立中学というものは存在も知らなかったので、自分では運が悪かったと思っています。

内向型人間にとって幼稚園や小学校はジャングルというかスラム街というか、それはもう無法地帯です。中学高校はややマシになる部分もありますが、体力がある分、無法さに拍車がかかることもあります。

日記の半分以上が学生時代のことで占められていることとサポンテ自身の経験からも、その時期のことがいかに投稿者様の心に影を落としているか、よく分ります。

オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。

まねごとができる時点で才能です。

肉体労働は苦痛だったが何年かすると慣れた。

この点、サポンテにはマネできません。すごいことです。

周囲に人はいるが朝の挨拶とトラブルの報告以外で話すことは無い。

頭脳労働しているサポンテでも、実は似たようなものかもしれません。

こんな簡単な仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

投稿者様は内向型であることを生かした仕事を選択できなかった。おそらく「運が悪かった」のではないかと考えます。ご自身の所為ではありません。

サポンテは「自分は、わりと運が良かった」と思っています。今の自分があるのは努力の結果ではなく運がよかったから。

サポンテは現在転職活動中ですが、いくら「未経験可」と書いてあっても年齢が年齢だけに不安が大きいです。だから投稿者様にも安易なことは言えないのですが、内向型であるご自身を尊いものとして大切に思えるようになり、こころ安らかな人生を送っていただければと考えて止みません。

内向型を強みにする

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