サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

自由について ... プレイン・ピープル --アーミッシュの世界-- ( 栗原 紀子(著), 長谷川 朝美(写真) 愛育社) (2)

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界

関連記事

前回のつづきです。

プレイン・ピープル --アーミッシュの世界-- ( 栗原 紀子(著), 長谷川 朝美(写真) 愛育社) - サポンテ 勉強ノート

discpline

 日本では子供の個性を尊重し、自由に育てるべきだとされている、と私は言う。 「それは私たちのやり方ではないわ」とジェシカはこちらに気を遣いながらもきっぱりと答えた。「ごらんなさい、それで世の中がどうなっているか。子供にはしつけが必要なの」  しつけ、と訳したが、彼女が実際に使ったのは discipline という言葉だ。これには”訓練、規律、懲戒”という意味も含まれる。アーミッシュにとって「しつけ」とは、親の勝手な意志に子供を従わせるということではない。従うことは信仰と生活の一部でもある。親に従い、共同体に従い、そして最終的には神に従うこと。

他の箇所ではアーミッシュの子どもが、子どもと言えど4歳にもなれば少しずつ家族の労働力の一端として仕事を任されることが紹介されます。洗礼を受ける期限の22歳までに、アーミッシュとして独り立ちするのに十分な仕事ができるようになるとのことです。これらのことも discipline に含まれるのでしょう。

実際のところ「自由に育てる」といいながら、この社会ではただ子どもを「放置」しているに過ぎないのではないでしょうか。 マニュアル人間とアンチマニュアル人間 のところで書いたことに似ていますが、規則や予定にがんじがらめになって個性が抑圧されるのは良くないとして、ただそれを取り去るだけでは別の問題を招いてしまう。代わりの「子どもの成長に必要」なものを与えることを何もしていない__それが必要であることにも気づいていない__のではないでしょうか。子どもの身体の成長にとって食べ物が必要なように、脳の成長にとって学問が必要なように、自由さを手に入れるためには discipline が必要なのではないでしょうか。

自由を手に入れるために規律が必要というのは矛盾に聞こえるでしょうか?では皆さんにとって「自由」とは、どのような状態のことを指すでしょうか。何ものにも縛られず、気ままな状態のことでしょうか。

自由とは無束縛に過ぎないものではない

私にとって自由の定義は「自分で設けた、あるいは自分で選んだ、または自分に課した規律に従い徹することを通して、降り掛かる困難に立ち向かい、自分の人生を、自分の望むように統制する能力を身につけること、およびその状態」です。1

例えば「医者になりたい」と思った人間が、そのため長期にわたる計画に基づいて勉学に励むこと。

例えば「政治家になりたい」と思った人間が、そのために多くを学び、長い時間をかけて人脈をつくり、その生涯を通じて粘り強い活動を続けていくこと。

これらのことは「何ものにも縛られず、気ままに」日々を過ごしているだけでは、決してなし得ません。目的地にたどり着くためには、どうしたらその場所にたどり着けるかを知ること、どうしたらその場所にたどり着ける力を付けられるかを知ること、そして絶対に必要なのは、たどり着くために歩き続けるという ルール自分で自分に対して 課し、それを 守ること です。

何をしたら良いかわからない

しかし自分に課すルールは、どんなものを選べば良いでしょう。それはどうやって見つけたら良いでしょうか。違う言い方をするならば、子どもはそれをどうやって誰から学べば良いでしょう。

成熟した社会では、若年層の無気力が問題になってきます。それは規律に縛られなくとも、強い指針がなくとも、とりあえず生きていけるという安心感の裏返しです。

生きるためには個性よりも恊働体の結束が大切だという認識が薄れてくると、規律や規範は、時代にそぐわない古くさいものに思えてきます。そんな古くさいものに拘っているのは最早、呪縛に過ぎないとさえ感じる人も出てきます。

そこからの「脱却」「解放」を求める声が多く、大きくなります。その結果、解放されたものの依るべきものを持たない漂うばかりの個人や小規模なコミュニティが乱立するような状態になります。

ついには依るべきものがないという無意識の不安と、それを渇望する潜在意識と、確固たるものを見つけられなかった自由さへの反動として、ナショナリズムへの傾倒を生み出す。それを繰り返し今日に至っています。この傾向は十九世紀末ほどからずっと続いています。

アーミッシュの人たちは頑なではあっても確かな指針を親から子へ伝え、社会を持続可能な形で存続させている実績を持っています。たとえ私たちの理想とは異なっていても、この漂い、彷徨う社会に生きる私たちは敬礼して教えを請うべきものがあるのではないでしょうか。


  1. 自分でこしらえたこの定義に従えばサポンテはまだまだ全然ダメです。もう奴隷です。怠惰と怯懦と欲望の奴隷です。

広告を非表示にする