免責
この本は問題集ですが、問題は書いていません。解説についてもかなり抜粋し、自分だけに解るかたちに省略しています。なのでこのノートから本の内容を展開することはできません。
ノート
この本は3分割して勉強していますが、最後の三分の一からはじめ、次に最初の三分の一に戻って手をつけています。このページは「配列」についてのノートです。
続きを読むこの本は問題集ですが、問題は書いていません。解説についてもかなり抜粋し、自分だけに解るかたちに省略しています。なのでこのノートから本の内容を展開することはできません。
この本は3分割して勉強していますが、最後の三分の一からはじめ、次に最初の三分の一に戻って手をつけています。このページは「配列」についてのノートです。
続きを読むリーコとオスカーシリーズ(3編)の2作目です。3冊のシリーズはそれぞれ独立した「事件」を扱っていますが、ところどころで前の巻から繋がるエピソードがありますので、読むとしたら順番に読むのが良いかと思います。
今回は美人で優しいリーコのママが事件に巻き込まれます。オスカーの父親はリーコの家にオスカーを置き去りにされるように居なくなってしまいます。オスカー自身はもちろんのこと、リーコもそのことに心を痛めますが、それでもオスカーはその自前の「高い才能」をもって、リーコのママと、リーコ自身を救います。
続きを読む「深い才能」を持つリーコと、「高い才能」を持つオスカーがベルリンの町でというか、正確に言えばリーコの生活の範囲内で繰り広げる冒険の物語です。
冒頭、リーコは道路に落ちているマカロニを見つけます。探偵映画が大好きなリーコは、自分も探偵のようにこの「見っけマカロニ」がどこからきたのか調べ始めますが、同じアパートに住む変人フィッツケさんに、この「見っけマカロニ」を食べられてしまいます。
続きを読む悪い読書メモはあんまり書きたくないのですが、けっこう傷ついたので記します。
悪い人間によって妖精の丘から追い出されてしまった妖精の女王ポティラと人間の少年アーサーが、力を合わせて妖精の丘を取り戻すまでのお話です。
冒頭、悪者が無邪気に踊っている妖精達を伺いながら口汚く罵ります。帽子を奪われ妖精の丘から追放されたポティラは人間の子どもアーサーと出会いますが、アーサーの弱い心や妖精についての知識の無さなどについて徹頭徹尾罵り続けます。
アーサーの方は人間生活の中でも同居の双子に酷い仕打ちや悪口雑言を浴びせ続けられています。
森の中に入っても、そこには妖精に敵対するものもあり、やはり台詞の端々に悪意がにじみ出ます。
クライマックスにおいて悪者は意外な知恵者(悪知恵ですが)であることが分りますが、冒頭の口汚さとのギャップにとても違和感があります。
結局ポティラは妖精の丘を取り戻しますが、協力してくれたアーサーに対する心ない言葉へのフォローは何も無く、且つ、物語を締めくくる言葉によって、アーサーもまた暴力に毒されてしまったことが分ります。なにも救いの無いおはなしでした。
読んでいて、かなり心が荒んでいくのが分りました。デイヴィッド=アーモンドの作品を読んでいるのとまるで逆の気持ちになります。
けっして、オーウェルズの1984年のように暴力が主題となっている作品というわけではないのです。これが児童書というのはどういうわけなのでしょうか。もしこれが古典であるのなら、暴力の支配が趨勢を極めた時代にあってやむを得ない文体であると納得もできるのですが、どうも現代作家の手によるものであるようです。そればかりか、けっして低くない評価を得ている作家であるようなのです。
どうにも、いろいろな意味で残念な本に出会いました。
「関数というのはかなり問題のある訳語です」と何かの本で見かけました。どの本だったのか失念してしまいましたが、プログラミングにおいては私も同じように感じます。
現在の世界では「関数とは何か」ということを理解するのは大変重要ですが、これを初心者にちゃんと解りやすく書かれた文章がほとんど有りません[^1]。これは初心者以前の用語であって、初心者向けの書籍であってもすでに知っている前提です。
関数という言葉は中学校の数学でも登場します。しかしながらコンピュータで言うところの関数は、中学数学で習う関数の概念とはかなり異なり、また高校数学以降で習う関数の概念とも若干異なるため、ちゃんと説明を受けて理解しておかないと、続く学習に支障が出ます。いわゆる「つまづき」になってしまいます。
そもそもプログラミングは小学生から学ぶことになりそうです。中学数学を学ぶまで待つわけにはいきません。小学生のうちはカリキュラムの中にまだ関数の概念を持ち込まないのだとしても、覚えの早い子は自分で手を伸ばしてどんどん学んでいきます。そうした時に応えられる情報が必要です。
この記事は小学生に向けて、あるいは、プログラミングを学ぶ小学生に応える立場にいる大人に向けて書いたものです。また、数学における関数について説明したものではありません。
続きを読む母親に捨てられたジュディスという女の子は、置き去りにされた家に住む叔母さんと暮らしていました。叔母さんはジュディスのことをジュビリー__「最高の喜び」と呼んで愛情深く接しています。しかし母親に置き去りにされた記憶から、それ以来、声を出すことが出来なくなってしまいました。またそれが友だちとうまくなじめない原因にもなり、心を痛めることが重なってしまいます。叔母さんのことは大好きですが、叔母さんの誕生日に母親から届いたカードの内容がとても気になります。
著者はブルックリンで20年間小学生の教師をしていたとき、移民の多い土地柄、この本のジュディスのように選択性無言症の子どもや、そうでなくても英語が話せない子どももいたそうです。もちろん移民である以上、そのご両親も同様の不安の中で生活しているはずで、その中の子ども達は学校でも家庭でも心安らかにいられないかもしれません。
その中でもときおり、子ども達から勇気をもらう出来事があるようです。それは著者にとってほんとうにジュビリー__最高の喜びである出来事なのでしょう。
ジュディスも、やがて母親が自分を置いていった理由や友だちが自分を避ける理由の中に自分の非がなかったことを知り、自分を愛してくれる人(叔母さん)がいること、自分の愛するもの(犬)がいること、最高の喜びの中に生きていることに気づきます。
すべての子ども達には無限の可能性があること、すべての子ども達の中にジュビリーが存在することが信じられる物語です。
名前のない奴隷の女の子がぬれぎぬから龍守りの主人の元に居られなくなり、龍とネズミとともに旅に出ます。龍は、古代中国の皇帝がその権威のために手元においておいた宮廷龍の最後の生き残りでした。
続きを読む