サポンテ 勉強ノート

サポンテの勉強ノート・読書メモなどを晒します。

農業講座 第六講(段落1〜30)(「農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎」ルドルフ シュタイナー (著), 市村 温司, 新田 義之, 佐々木 和子 (共訳) イザラ書房)

農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎

農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎

ノート

この講のノートを作っているのはとても楽しい時間でした。おかげで2ヶ月もかかってしまった。図書館で借りては返し、借りては返し...いっそ買えばいいのに。

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第六講

この講では植物(つまり野菜)の邪魔者である雑草や害獣、害虫、病気などについて書かれています。農業をやっていく上でやはりとても気になるところなので他の講より先に読んでしまいました。

ノートの作り方

この講の直後に書かれている「質疑応答(三)」と「質疑応答(四)」にも関連する内容が記されているので、その内容もとりいれています。

ノートの作り方は前回の反省を活かして色を抑え、強調も控えました。

この見開きの途中でグレーのボールペン(SARASA Clip 0.3mm)が壊れてしまいました。まだインクは残っていたのに...。絵を描くときは 0.3mm はとても重宝するのですが、どうも文字を書いているとついつい筆圧が高くなってしまいます。0.3mm だと細くて引っかかる感じになってしまうので、その無理がたたったのでしょうか。最後の10行ほどは同じ SARASA Clip の 0.4mm で書きました。このくらいの太さがあった方がハッキリ読めて良さそうです。

下書きも少しやり方を変えました。目次に小見出しに使えそうな概要が書かれているのでそれを参考に段落ごとにサマリーを作ります。この講は最初から「雑草」「(邪魔な)動物」「害虫」「病気」などの見出しでノートを作ろうと思っていたので、このサマリーは参考程度、下書き中だけの寿命と割り切って書きます。

そのように見出しを考えて、最終的にそうまとめるように下書きしていました。しかし各段落の内容はもちろん強く連続・関連しているのでなかなか苦しい(そして楽しい)作業でした。

しかしそのように無理をしてまとめると、どうしても「連続」部分を除いて作業するしかありません。泣く泣く多くを削りましたが、削ったところも別途まとめてみたい内容でした。この本のノートをつくり終わったら再度通読して書ききれなかった部分だけのノートをまとめてみたいほどです。

やはりこの講も、見開き2ページに収めるのは無理でした.「病気」については全く次のページになります。内容も少なくないので次の見開き2ページくらいに作ってちょうどいいくらいかもしれません。

免責

この講はかなり圧縮しています。本の内容は抽象化されています。

本の内容

この本は今日の「生態動的農法」あるいはカタカナ語で「バイオダイナミック農法」と呼ばれている農法の始祖「ルドルフ=シュタイナー」による講演録で、「生態動的農法」の書籍の日本語で刊行されているものの中で草分け的な存在になります。

講演は1924年6月7日〜6月16日まで開催されたものです。

ドラムリールのケーブルクリップの代用品

ドラムリール使っていますか

みなさん、ドラムリール使っていますか?サポンテは家庭用として使っています。友達が家にくると受けてます。でも便利なのです。

しかしコンセントケーブルの先っぽ、ブラブラしてませんか。ケーブルクリップが最初からついているものは良いのですが、ついていないものもあります。

しかし簡単に手に入るものを使って、それを追加できます。

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やり方・使い方は一目瞭然。洗濯バサミをインシュロックでコンセントケーブルの先っぽ近くに付けるだけです。写真のワイヤ ーピンチは 100均ショップ Seria で買った四個セットの一つです。インシュロックの色をドラム本体と合わせるとオシャレ!

ガッチリと強力に固定できるというものではありませんが、これで運搬中にコードがブラブラしたり気を使う必要がありません。

restructuredText の表のセルの中で改行する

はじめに

restructuredText にはいろいろな表の書き方がありますが、セル内改行方法について意外とまとまったものがなかったので記します。

確認

VS CodeReStructured Text Previewer v2.0.0 で確認しました。

Grid Table 編

先頭に "|" をつける。

参考

+----------+----------+----------+
| Header 1 | Header 2 | Header 3 |
+==========+==========+==========+
| | Item 1 |          |          |
| | Item 2 |          |          |
+----------+----------+----------+

Simple Table 編

先頭に "|" をつける。ただし1列目はできないかもしれません。

======== ======== ========
Header 1 Header 2 Header 3
-------- -------- --------
Item 1   | Item 2
         | Item 3
======== ======== ========

list-table 編

先頭に "|" をつける。"|" の位置を合わせないとエラーになります。

.. list-table:: TheListTable
    :header-rows: 1
    :widths: 10, 10, 10

    * - Header 1
      - Header 2
      - Header 3
    * - | Item1
        | Item2
      - Item3
      - Item4
    * - Item5
      - Item6
      - Item7

または改行を二つ続ける。厳密には改行ではなく改「段落」ですが。

.. list-table:: TheListTable
    :header-rows: 1
    :widths: 10, 10, 10

    * - Header 1
      - Header 2
      - Header 3
    * - Item1

        Item2
      -
      -

csv-table 編

ダブルクォートでくくって "|" を付ける。

"|" を記述する位置に注意してください。最初の "|" と揃えるのではなく、最初のダブルクォートと揃えるようです。

参考

.. csv-table:: TheCsvTable
    :header: Header 1, Header 2, Header 3
    :widths: 10, 10, 10
    
    "| Item 1
    | Item 2",Item 3,Item 4

ユートピアだより(ウィリアム モリス (著), William Morris (原著), 川端 康雄 (翻訳) 晶文社)

ウィリアム=モリス

この本はウィリアム=モリスが書いた小説です。

ウィリアム=モリスは19世紀に、主にデザイナーとして著名な作品を残した方です。壁紙など一部の作品は現在も生産が続けられるなど、時代を超えた「大定番」のデザインを作った方です。ウィリアム=モリスの名前を知らなくても「あ、このデザイン見たことある」という方も多いのではないでしょうか。

ウィリアム=モリスが活躍した時代は、「大量生産」「大量消費」の現代文明が作られ始めた頃で、デザインも「質より量」の変化にさらされました。モリスはこの風潮を批判し、家内制手工業的な生産活動こそが高品質を維持しうるものであると主張しました。残念ながら世界の趨勢は__皆様のご存知の通り__モリスの危惧し憂いたとおりの方向へ進んでいきました。美術館に残されたものを見れば、この時代を境に確かな変化があったことが痛感できます。現在生産が続けられているモリスの作品は、当時と同じ製造工程を経ていて、当時と同じ品質を維持するなみなみならぬ努力が続けられています。

モリス以降、比肩すべきデザイナーは居ないこともないのですが、モリスの名前が歴史の中でひときわ大きなものとして残っているのは、その活動が多岐にわたったことが大きいためであるように思います。モリスはけっして専業デザイナーではなかったのです。しかも、それぞれの領域で大きな業績を残しています。

モリスの小説の代表作であるこの作品にも、こうしたモリスの多角的な仕事が結実しています。惜しむらくは、同時にその限界を示していると言えなくもありません。描かれている風景や建物、室内の装飾は美しく描かれていますが、音楽に関する描写は多くないという点で 奇跡のエコ集落 ガビオタス と好対照です。

本の内容

日々に疲労した社会運動家が寝苦しい夜を過ごした翌朝、21世紀の同じ場所に目覚める、という内容です。

そこで暮らす人々は「財産」や「政府」という概念を持たず、健康的で若々しく美しい容姿を持っており、風景を美しくすることを尊び、労働を喜びとする。強い連帯感はないけれど、誰でもいつでも助けてくれる絶対的な安心感がある世界(ここは ガビオタスアーミッシュ と同じですね)。

主人公はその世界で二日ほど暮らした後、いつもの(19世紀の)部屋で目を覚ます。それは夢だったけれど、疲れはなくなり、心の中に光りが差し込んでいる。

どこでもない場所

ユートピアを扱った物語をそんなに読んでいるわけではないのですが、この本は「その状態に至るまでの経過」について詳しく書いている点で他との違いがあるとのことです。

最近読んだ別の本で 奇跡のエコ集落 ガビオタス というものがありますが、こちらは経過というか、まさに現在形成中のユートピアです。もっとも代表者は「トピア」と呼んでいるそうですが。

この「ユートピアだより」は、原題では「どこでもない場所からのニュース」みたいな感じです。ユートピアはもともと「どこでもない場所」という意味でした(対して「トピア」は場所)。ですが現代ではほとんど「理想的な場所」という意味になっています。

この本で登場するのは、主人公が眠りに落ちた場所、つまりもともとは特別な場所でもなんでもないご近所でした。

理想郷はどこかにあるのではなく、自分の足下に作っていくものだという社会運動家としてのモリスの心がこもっているように思います。

ユートピアに至る道

それは主人公が21世紀で出会った老人の口から語られます。

けっして生易しい道ではなかったけれど、それを乗り越えて到達したその世界は、やはり美しく描写されていました。

こうした美しい物語を読むのは、自分の心の中にその空気を取り込むような気がして心地よいだけでなく、自分の目指すべきところを確認するためにも必要なことであるように思います。たとえそれがまったく自分の目的地と同一でなくても、そうした道を歩もうとした先人がいたという事実からは勇気をもらうことができますし、自分の理想と比べることで、自分の中に在るイメージがより具体的になってもいきます。

心を惹かれる言葉

しかし金持ちを貧民から、強者を弱者から保護するということ以外のいかなる目的のために、その<政府>は存在したのでしょうか

この言葉は、やはり心えぐられる思いがします。その部分において、100年の間、進歩がないからです。

どう見ても、文明の最後の時代に人は物品の生産という問題で悪循環におちいってしまったようですね。かれらは見事なまでに楽々と生産できるようになりました。その便利さを最大限に生かすために、しだいしだいに、この上なく込み入った売買のシステムをつくりだしました(というか、そうしたものを発達させました)。<世界市場>と呼ばれるものです。その<世界市場>は、いったん動きだすと、物品の必要あるなしにかかわらず、ますます大量に生産しつづけるように強制しました。その結果、ほんとうに必要な品々をつくる苦労から解放されることは(当然ながら)できませんでしたが、にせの必需品、あるいは人為的な必需品を際限なく生み出すことになりました。そうしたものは、いま言った<世界市場>の鉄則のもとで、人々にとっては、生活を支えるほんとうの必需品とおなじくらいに重要なものになってしまったのです。おかげで人々は、ひたすらその悲惨な制度を維持するだけのために、とてつもなく多くの仕事を背負いこむはめになったのです

まだスマホタブレット端末もネット依存もない100年以上もの前からこの「悲惨な制度」が続いていることは驚きでしたが、考えてみれば、たしかにそれは産業革命から始まったのですからあたりまえのことでした。

「この50年で食に起きた変化はその前の1万年より大きい」とは映画 フードインク の中で マイケル=ポーラン が言った言葉です。不必要な食品を「際限なく生み出す」ためのにせの効率化と、そのために引き起こされる貧困、貧困がもたらす過剰カロリーによる肥満と糖尿病の蔓延が、衝撃的に描かれています。

上記の引用部分には「にせの必需品、あるいは人為的な必需品」とありますが、人為という言葉は合体すると偽になると フォーカス・リーディング にありました。人の為すことは、にせものなのでしょうか。

だからこの本の中に登場する21世紀にも残るいくつかの「人為的なもの」は美しくないものの代表のように描かれています。

モリスの遺した様々のものに触れると、とても人の為すことが偽であるとは思えませんが、同時に、ある意味「人の為した部分」はできるだけ目立たない感じに持っていこうとする、強い謙虚さを感じます。自然そのものの美しさや神秘性を大切にしてほしいと切実に訴えているようです。

サポンテはモリスのデザインが大好きなのです。

免責

読書「メモ」とは言え、いつもまとまりなく尻切れとんぼな感じですみません。

農業講座 第二講(段落24〜35)(「農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎」ルドルフ シュタイナー (著), 市村 温司, 新田 義之, 佐々木 和子 (共訳) イザラ書房)

農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎

農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎

免責

このノートは、抽象度が低く、別の言い方をすると、かなり本の内容が詳細に反映されているものになっています。したがって、一部の公開にとどめようと思います。

思いますが、この記事は続きます。すみません。

本の内容

この本は今日の「生態動的農法」あるいはカタカナ語で「バイオダイナミック農法」と呼ばれている農法の始祖「ルドルフ=シュタイナー」による講演録で、「生態動的農法」の書籍の日本語で刊行されているものの中で草分け的な存在になります。

講演は1924年6月7日〜6月16日まで開催されたものです。

ノート

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ノートの作り方

前回の記事に書いたように、小見出しを差し入れています。しかし前のページほどは雑然としておらず、すっきりした感じになっています。わりとうまくできたかもしれません。しかしまだ冗長かもしれませんね。

今回のページにまとめた部分は前回よりはまだ理解するのが容易でした。合っているかどうかは判りませんが...。

下書きノートを見直してみても、やっぱりすっきりしています。この本のノート作りのコツがつかめて来たのでしょうか?いいえ、油断できません。実は第六講のノートはまたガラッと変わっています(はい。第三〜第五講とばして第六講に行きました)。各講の内容によって、作り方をそれぞれ変えた方が良いのかもしれません。

農業について

サポンテは水稲栽培をしていました。兼業で水稲栽培をしていると、勉強は農閑期にやるしかありません。本当は勉強しながら、勉強したことを作業に適用したり、うまくできると良いのですが。実際、バイオダイナミック農法を適用するならば、フルタイムとの兼業では厳しいです。エンジニアの仕事は天体の運行によってスケジュールが決まっているわけではないからです(そりゃそうだ)。

また今日の農業は分業が進み、動物を育てている人はごくごく僅かです。動物が入ってくると、兼業は更に厳しくなります。田んぼは1日放っておいても大して変化はありませんが、動物の世話は一日も休むわけにはいきません(※)。

特にサポンテの場合、一人でやりたい派なので、もうにっちもさっちも行きません。どうしたらいいか、真剣に考えています。

※:鯉除草という農法があって、その名の通り田んぼに鯉を放し、その活動で除草するというものです。これは「日々の世話」という点では省力化できます。しかし導入と「その後」を考えるとまた簡単ではないことが想像できます。鯉は生態系への影響が大きいため、田んぼの外に逃がさないよう細心の注意が必要です。稲の収穫前には必ず鯉を一尾残らず除いておかなければなりません。いずれ「慣れる」かもしれませんが。アイガモ農法は慣れました。「導入」も「後」も、わりと慣れました。だから鯉もいずれ、慣れるのかもしれませんね。ちなみにアイガモは逃がしてしまっても野生では生きていけません。飛べないので一日も経たず獣に襲われます。

農業講座 第二講(段落13〜23)(「農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎」ルドルフ シュタイナー (著), 市村 温司, 新田 義之, 佐々木 和子 (共訳) イザラ書房)

農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎

農業講座―農業を豊かにするための精神科学的な基礎

挨拶

前回の記事からずいぶん時間が経ってしまいました。毎年この季節、サポンテは野山を忙しく駆け回っているので勉強の時間が取れません。読書だけはしてますけどね。

免責

このノートは、抽象度が低く、別の言い方をすると、かなり本の内容が詳細に反映されているものになっています。したがって、一部の公開にとどめようと思います。

思いますが、この記事は続きます。すみません。

本の内容

この本は今日の「生態動的農法」あるいはカタカナ語で「バイオダイナミック農法」と呼ばれている農法の始祖「ルドルフ=シュタイナー」による講演録で、「生態動的農法」の書籍の日本語で刊行されているものの中で草分け的な存在になります。

講演は1924年6月7日〜6月16日まで開催されたものです。

ノート

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ノートの作り方

このページを作っている途中で、目次の方に各講の内容について小見出しのようなものが記されているのに気づきました。それを水色の文字で書き入れました。前のページではそれが無いのでアンバランスな感じになっています。第二講のノートは次の「段落24〜35」で終わりですが、そこまで同じ作り方をしました。しかし次からはまた異なるノートの作り方にしようと思っています。振り返ってみて、この作り方だと今ひとつパッとしないというか、何かが違う気がします。

まず長くなりすぎるきらいがあります。それに図の所為かもしれませんが色数が多く、紙面が雑然としています。紙媒体である以上は編集力に制限がかかり、なかなか難しいのかもしれませんが、ちょっと反省点が多いノートです。

図を間違えました

左のページの図は、本の中に在るのではなく、自分で理解するために加えたものです。後に六講を読んでいる時にこの図、すなわち自分の理解が間違っていることに気づきました。ですので、この図はいずれ描き直す予定でいます。

ケイ石によって大地から放射される宇宙的諸力は、そのまま根にではなく一度地上側に出てから植物に吸収される、という道を辿るようです。たしかに第二講本文を読み返すとそう読めます。

やはり難解です。

講演録だからなのか

読み始めたとき、講演録という性格上、ある程度、話が脱線したり散漫になったりするのは仕方が無いのだろうか。しかしシュタイナー自身の手(正確には口述ですが)によるバイオダイナミック農法のテキストはこれしかないからなんとか読破しなければ。そう思っていました。

しかし腐っても鯛。講演録でもシュタイナーの著作です。そのような落ち度があるとは考えにくい。これは、敢えてこのような構成になっているはず。

統計学入門を読み終えた後、もう一度全体を俯瞰したとき__これは全部読んだからこそ俯瞰できるようになったのですが__初めに読んだときは見えていなかったものが見えるようになりました。これは全体を読み終えた後でもう一度(あるいは何度も)読み直すことで、またさらに別の意味や示唆を発見できるのでしょう。

この本の中でも、農場だけを観察するのではなく、植物単体や動物の個体だけを観察するのではなく、ましてや肥料成分だけに注目するのではなく、天体の運行も視野に入れた全体を観察することで、初めて実際のところが理解できると、繰り返し、様々なたとえを用いて書かれています。

シュタイナーの他の著作でも、やはり同じようなことが強調されています。詳細にいくら分解したところで全体の中でそれがどのようなものなのかを観察しなければ、本当に観察したことにはならないと。

ただし、わりと解りやすく書かれた統計学入門のような本とは違います。もともとシュタイナーの思想が難解な上に、農業という広範な知識が求められる分野ですから、きっとこの本は永い間飽きること無く向き合える本になりそうです。

図書館にあるのですが。

効率について ... プレイン・ピープル --アーミッシュの世界-- ( 栗原 紀子(著), 長谷川 朝美(写真) 愛育社)(3)

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界

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プレイン・ピープル --アーミッシュの世界-- ( 栗原 紀子(著), 長谷川 朝美(写真) 愛育社) - サポンテ 勉強ノート

パニック

以前のブログアーミッシュの学校が取材禁止になっていることを紹介しました。それは生徒にパニックを引き起こすからだと説明されていました。

サポンテも高校生の時、学校にテレビ局が取材に来ました。そのとき__事前にある程度の打ち合わせがあったにも関わらず__やはり狂躁状態というか、個人としても群衆としても抑制の効かない状態になったことを覚えています。授業中であるのに関わらずカメラマンからは「(テレビ的に絵になるから)このページを開いていて」と指示されました(まあ、まんざらでなかったことは認めますが)。学校の授業と、テレビの話題としてのネタを狩猟採集のように集める取材行為とは相容れるものではありません。

狩猟採集型の取材行為

テレビの話題を取材する際に「狩猟採集」という言葉をつかいましたが、もちろんそれとは反対に、長い時間をかけ対象に寄り添ってていねいに情報を集めていく取材方法もあるでしょう。これを「農耕牧畜」型とは呼びたくありません。なんだか取材した映像なり音声が勝手に育って成長するようなイメージがします。言い得るなら「遺跡発掘」型となるでしょうか?長い時間をかけ、あるかないかもわからないものを壊さないように慎重に掘り起こしていく。そんな取材の方法です。

このような取材があまり主流ではない背景には「効率的ではないから」という理由があるでしょう。

効率

アーミッシュにとって「効率が良いこと」はむしろ悪徳とされることが、この本には書かれていました。これが結構、目からうろこが落ちるようなことでした。

効率が良い。つまり少人数や短時間でものごとを解決する「道具」「手法」「技術」などは、すべてコミュニティを崩壊させるものと考えているようです。これは「古いものはいいものだ」という懐古趣味であるように誤解されたり、「文明の進歩を悪だと決めつける」頑迷で保守的な排他主義のように誤解されたりするでしょう。しかしそうではなく、徹底的に考え抜いて、自分たちの文化への影響を検証して決めているようです。

アーミッシュでは家族あるいはご近所の人たちなど、できるだけ多くの人たちと 長い時間協働すること に何よりも価値を重くおいており、したがって少人数で効率よく仕事を済ませてしまうことができるものを排しているのです。

具体的には「新しい」農業機械。アーミッシュもけっして文明を全否定しているわけではなく、機械を使う場合もあります。しかしそれは概して古いもので、家族が協力し合ってはじめて機能するようなものだとのことです。

また電話は、家族と過ごしている時間に否応なく割り込んでくるものとして。テレビは会話を遮り、家族との時間を奪うものとして。全館暖房は家族をそれぞれ個室に誘うものとして。

いずれも一貫しているのは、ともに過ごしている人との時間に重きをおいているという点です。現代文明が個人的なものを尊んでいるのとは、まるで対照的です。

個人的であること

サポンテは極端な内向型人間であることと他の理由 1 もあって、一人で生きていきたいと考えています。この現代社会で一人で生きていくためにどうすればいいか、日頃から真剣に考えています。

そんなサポンテにとってアーミッシュの考え方は、理解はできても実践したいものではありません。これは変わることはないでしょう。

しかしそれは現代文明の刷り込みが入っているからなのではないかと問われれば、その通りだと思います。

現代文明は個人的なもの、個性的なものをとても大切にします。その方がモノが売れるからです。家族に一台のテレビより、個人に一台。身も蓋もありませんが、そういうことでしょう。全部がそうだと言うつもりはありませんが、産業界の要請には完璧に合致しています。

その反動か昨今はチームワークを軸としたバズワードが世界中で話題にあがります。しかしながらサポンテの目には「チーム一丸でもっと生産を(つまりは消費を)」と言っているように見えてしまうのです。


  1. 極端な内向型人間であることは既に確認しています。「他の理由」としたものは「その疑いが強い」程度でまだそこまではっきり確認できていませんので伏せておきます。