- 作者: ルドルフシュタイナー,新田義之,佐々木和子,市村温司
- 出版社/メーカー: イザラ書房
- 発売日: 2000/05/25
- メディア: 単行本
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免責
このノートは抽象度が低く、別の言い方をすると、かなり本の内容が詳細に反映されているものになっています。したがって、一部の公開にとどめようと思います。
本の内容
この本は今日の「生態動的農法」あるいはカタカナ語で「バイオダイナミック農法」と呼ばれている有機農法の始祖「ルドルフ=シュタイナー」による講演録で、「生態動的農法」の書籍の草分け的な存在になります。
講演は1924年6月7日〜6月16日まで開催されたものです。
まだ第二講までしか読んでおらず、その第二講も途中までしかノートを作っていませんが、ここまでの(自分なりに理解した)内容をかなりかいつまんで紹介すると以下のようになります。
- 植物は自分では動けないので、動物や人間と比べて、天体運行の影響に依存する部分がより多い。
- 植物の生長に関しては、植物単体を観察するだけでなく、農場全体を一つの生命に見立てて、その中での位置づけや天体運行状態から総合的な視点で観察する必要がある。
- 天体から植物への働きかけをより多く捉えて利用するために、今日あまり重要視されていない物質が寄与している。
講演録という性質上、図版は多くありません。しかし講演中にシュタイナーが板書したものが写真と複製で残っています。
この本との向き合い方
私は農業を本業としているわけではないので、この書籍は手元にあるわけではなく図書館で借りたものです。時々借りて、少しずつ読み進めています。
借りても二週間の返却期限では、なかなか読み進めることができず、諦めて返し、また気が向いては借りるということを繰り返していました。もう割り切って「全部は読まない」とし「二週間で一講ずつノートを作っていこう」としました。すると意外に楽になったばかりか、内容もよく理解できるような気がします。1
海外の Wikipedia でバイオダイナミック農法を見てみると押しなべて「難解」と書かれています。たしかにシュタイナーの本はいずれも、一読しただけでは理解が難しい。2 あえてそのように作ってあるそうです。文字と格闘し、文章と格闘し、段落と格闘し、必要に応じては他の書籍を参照したりして吟味し、その意味を推敲する。そのようにして頭の中で、まるで料理をするように言葉を刻んだり煮込んだりして自分のものにしていく思考作業に大きな価値があるとシュタイナーは考えているようです。
シュタイナーの他の著作を取り上げた勉強会でも、そのように歩を進めていくスタイルをとっていました。これはもう農耕型読書でもありません。収穫しては料理や醸造を行い、それを味わい飲みこみ消化してからまた次の段落にとりかかる。そんなイメージです。
サポンテは勉強中 PC をなるべく使わないようにしたいと思っている__本業エンジニアなので、なるべく画面から離れた時間を取りたいためです__のですが、今回は下書きに一部使ってしまいました。時間がかかりすぎると感じたためです。しかし PC による編集効率の良さが仇になることもあるということは、今回改めて感じました。紙には紙のよさがあるという以上に、上記の「消化」過程に、なんと言うか「よく噛まずに飲み込む拙速さ」のようなものを感じました。
バイオダイナミック農法は誤解を持って語られることが多いですが、それは、多くの場合にこうした「消化」過程を厭う人が多いからなのではないでしょうか。異なる文化、概念に触れる場合は、異なる「消化」過程を経る必要があり、そうでなければ見えてこない側面が必ずあると考えます。3
ノートの作り方
段落ごとに、概要、まとめ、得られた知見、図版の複製を記してあります。
しばらくそうやってノートを作りながら文章と格闘していると、いくつかの段落で内容が一続きになっている単位があることに気づきました。当然といえば当然なのですが、ノートを作っているとよくあることでもあります。このため後半は複数の段落で同様のまとめを行っています。
図版は少ないので、必要と思われるものは自分で描き起こして追加していきます。また掲載されている図版を写す場合でも、さらに加筆をして写しています。
反省点
かなり抽象度が低く、自分としてはもう少し踏み込んでまとめたいです。とくに最初の方では、内容にある程度のまとまりがある複数の段落ごとではなく、実際の段落ごとに概要を記しただけで、見出しも付いていません。ノートは、本の全体を俯瞰するためのような使い方もするため、記述量が多すぎるとその妨げになります。本の内容をほとんどそのまま書くとしたら、それは本を買えばよいだけの話になってしまいます。
さすがに一つの講の内容はけっこうな分量になるので見開き2ページにというわけにはいきませんでした。それでも見開き4ページくらいには収めたいところ。
本文には小見出しが無いので単に段落番号だけを記していますが、目次を見ると小見出しに使えそうなキーワードが並んでいました。もっと早く気づくべきでした。
ひょっとしたらもう一度ノートを清書するかもしれません。もう途中からはそのつもりで書いているフシもあります。しかしながら、文章から得られた洞察から思いついたことも併記していきたい野心の芽生えもあり、清書のしなおしは抽象化・圧縮というよりむしろ膨らんでしまいそうな気もしています。
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しかし結局二週間でも第二講全部を終えることはできませんでした。やはり「難解」なのは否定できません。↩
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難解な本や古典には珍しくないですが、 シュタイナーの『農業講座』を読む という、本を読むことが本になるという事態になっています。しかし実際として、シュタイナーはこの講座の翌年にはもう亡くなってしまったので、遺された文献から紐解いていくしかありません。↩
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サポンテの大好きな本の「アイヌ語の贈り物」で、次のように書かれています「実際、人類学や動物学の分野で、これまで予断と偏見に満ちていた異民族の文化研究や動物行動の研究が、対象への共感と共鳴によって新しい見方や世界が発見され、従来のものの見方がくつがえされることがしばしばあります」。↩